「効率化」と「遊び」についての考察
「組織」とか「システム」とか、
究極的には、
「効率化の追求」の為にあると、
私は考えています。

記事を読む前に、
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その「効率化の追求」の最も基本的な考え方が、
ムダを一切省くということであり、
個々の役割が重ならないように明確にして、
AからBへ、
BからCへ、
CからDへ、
とバトンタッチしていって、
最終的には、
ZからAへ、
というのが、
どれだけスムーズに実行されるか、
ということであるように思います。

そして、
その流れのスピードを、
どれだけ速くできるのか、
ということであると思います。

これはサッカーにおける、
「組織」や「システム」においても同様で、
それを極限まで追求していけば、
「効率化の追求」ということになり、
攻撃においても、
守備においても、
いかに効率良く動くか、
連携がスムーズに実行されるか、
少ない労力でボールを奪うか、
少ない労力でゴールを奪うか、
ということであると、
私は思います。

そもそも、
システムというのは、
弱い個を補う為にある、
というのは、
よく言われることだと思いますが、
要するにパターン化された動きを全員で実行すれば、
円滑に物事が進んでいける、
意思の疎通も行われ易くなる、
ということだと思います。

但し、
ここで1つ考えなければならないことは、
「効率化の追求」の先に「パターン化」が存在するとなれば、
そこには「柔軟性」や「臨機応変性」というものが失われていく、
ということでもある、
ということですね。

何か作業的に物を作る場合には、
そうであっても、
特に問題は無いところだと思いますが、
世の中というのは、
常に動いていますから、
そして、
サッカーにおいても、
ボールは丸いわけでして、
相手も物ではなく人でありますから、
「パターン化」された「組織」や「システム」だけでは、
いつかは分析研究され、
また、
偶発的な出来事によって、
その「効率化の機能性」が、
根幹から崩れてしまう、
ということが起きてくるだろうと思います。

そうなってくると、
今度は「効率化の追求」の為に、
その対立軸にある、
「遊び」
というものを内包していく、
つまり、
「効率化の追求」の為に「非効率的なるもの」を組み込んでいく、
ということが必要になってくると、
私は考えます。

ではその「遊び」とは何かと言えば、
それは、
「遊び」と表現すると、
何かふざけてチャラチャラしたり、
役割の実行を不誠実に行う、
ということのように感じますが、
要するに「遊び」というのは、
「知恵」ということであると、
私は思います。

そしてその「知恵」とは何かと言えば、
「もしかしたら・・・」という発想であると、
私は思います。

そして更に、
先を見据えての、
布石を実行すること、
それが「遊び=知恵」であると、
私は思います。

「パターン化された効率化」だけであると、
その「先を見据えての布石の実行」でさえも、
「効率化を妨げるもの」として、
排除されてしまいますが、
「実はそれこそが効率化を妨げる原因になる」
ということであると、
私は考えます。

要するに何が言いたいのかと言いますと、

「先に何か目的があるとして、その目的を達成する為には、
一見するとムダに思える行動、非効率的な行動、
つまり、それは先を見据えた布石という行動、
それを許容し実行していかないと駄目なのではないか」

ということで、
これをサッカーに置き換えれば、

「勝利という目的があり、ゴールという目的を達成する為には、
一見するとムダに思えるプレー、組織的なプレーから外れたプレー、
つまり、それはゴール奪う為の布石というプレー、
それを許容し実行していかないと駄目なのではないか」

ということであります。

そしてそれは、
よくよく考えてみれば、
非効率的な行動ではなく、
実は最も効率的な行動なのではないかと、
私は思うわけです。

日本がなぜゴールを奪えないのか?

そこには身体能力や技術ということも、
もちろん大きな要因としてあるわけですが、
もう一方では、
ゴールという目的に向かって、
将棋のように、
一手一手と王将(ゴール)を奪う布石を打っていく、
そのような攻撃の発想というものが、
大きく欠落しているのではないか、
その知恵が養われていないのではないか、
ということを、
私は強く思うわけであります。

そしてその原因は、
育成というところに問題があるのだと、
U−23代表の選手たちのプレーを見て、
強く感じるわけであります。

「効率化」の為に、
「効率良くゴールを奪う」その為に、
「遊び」の部分を養うということ、
「遊び」の部分を実行するということ、
そして、
できればそれは意識統一のもとで、
全員が実行するということ、
それが日本のサッカーには必要であると思います。

ゴールを奪う為の方法論、
その答えが、
「効率化」と「遊び」、
「効率良くゴールを奪う為の布石(遊び=知恵・発想)」、
それをどのように実行するのか、
というところにあると、
私は考えています。


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【2008/08/09 11:45】 | 育成・技術・練習論 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
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コメント
あじさん、otoさん、コメントありがとうございます。

そうですね、少しこの記事を解説させて頂きますと、

「組織」とか「システム」とか、究極的には、「効率化の追求」の為にあると、私は考えています。その「効率化の追求」の最も基本的な考え方が、ムダを一切省くということであり、個々の役割が重ならないように明確にして、AからBへ、BからCへ、CからDへ、とバトンタッチしていって、最終的には、ZからAへ、というのが、どれだけスムーズに実行されるか、ということであるように思います。そして、その流れのスピードを、どれだけ速くできるのか、ということであると思います。これはサッカーにおける、「組織」や「システム」においても同様で、それを極限まで追求していけば、「効率化の追求」ということになり、攻撃においても、守備においても、いかに効率良く動くか、連携がスムーズに実行されるか、少ない労力でボールを奪うか、少ない労力でゴールを奪うか、ということであると、私は思います。

ここまでというのは、「組織」なり「システム」の究極的な目的が「効率化の追求」にあるのでないか、ということを述べております。そして、

そもそも、システムというのは、弱い個を補う為にある、というのは、よく言われることだと思いますが、要するにパターン化された動きを全員で実行すれば、円滑に物事が進んでいける、意思の疎通も行われ易くなる、ということだと思います。但し、ここで1つ考えなければならないことは、「効率化の追求」の先に「パターン化」が存在するとなれば、そこには「柔軟性」や「臨機応変性」というものが失われていく、ということでもある、ということですね。何か作業的に物を作る場合には、そうであっても、特に問題は無いところだと思いますが、世の中というのは、常に動いていますから、そして、サッカーにおいても、ボールは丸いわけでして、相手も物ではなく人でありますから、「パターン化」された「組織」や「システム」だけでは、いつかは分析研究され、また、偶発的な出来事によって、その「効率化の機能性」が、根幹から崩れてしまう、ということが起きてくるだろうと思います。

ここでは、その「組織」なり「システム」の究極的な目的が「効率化の追求」にあるとしても、それが「パターン化」ということに集約されてしまうと、結局は「効率化」にならない、つまり、勝てる「組織」なり「システム」にはならないのではないか、ということを述べております。そして、

そうなってくると、今度は「効率化の追求」の為に、その対立軸にある、「遊び」というものを内包していく、つまり、「効率化の追求」の為に「非効率的なるもの」を組み込んでいく、ということが必要になってくると、私は考えます。(中略)「パターン化された効率化」だけであると、その「先を見据えての布石の実行」でさえも、「効率化を妨げるもの」として、排除されてしまいますが、「実はそれこそが効率化を妨げる原因になる」
ということであると、私は考えます。要するに何が言いたいのかと言いますと、「先に何か目的があるとして、その目的を達成する為には、一見するとムダに思える行動、非効率的な行動、つまり、それは先を見据えた布石という行動、それを許容し実行していかないと駄目なのではないか」ということで、これをサッカーに置き換えれば、「勝利という目的があり、ゴールという目的を達成する為には、一見するとムダに思えるプレー、組織的なプレーから外れたプレー、つまり、それはゴール奪う為の布石というプレー、それを許容し実行していかないと駄目なのではないか」ということであります。そしてそれは、よくよく考えてみれば、非効率的な行動ではなく、実は最も効率的な行動なのではないかと、私は思うわけです。日本がなぜゴールを奪えないのか?そこには身体能力や技術ということも、もちろん大きな要因としてあるわけですが、もう一方では、ゴールという目的に向かって、将棋のように、一手一手と王将(ゴール)を奪う布石を打っていく、そのような攻撃の発想というものが、大きく欠落しているのではないか、その知恵が養われていないのではないか、ということを、私は強く思うわけであります。(中略)「効率化」の為に、「効率良くゴールを奪う」その為に、「遊び」の部分を養うということ、「遊び」の部分を実行するということ、そして、できればそれは意識統一のもとで、全員が実行するということ、それが日本のサッカーには必要であると思います。ゴールを奪う為の方法論、その答えが、「効率化」と「遊び」、「効率良くゴールを奪う為の布石(遊び=知恵・発想)」、それをどのように実行するのか、というところにあると、私は考えています。

この最後に至る部分では、簡単に言ってしまえば、ゴールを奪うには、その準備段階である布石が必ず必要であって、しかもそれは、パターン化された中ではなく、遊び(知恵・発想)の中から生まれてくるものであり、その考え方が、日本には無いし、育成段階においても、育まれていないのではないか、ということを述べております。「組織」なり「システム」を追及していくということは、勝つ為であるわけですが、その目的を達成する為には、一見するとムダであるように思えるものを全て排除したり、ということではダメで、効率化の中にしっかりと遊びを組み込んでいかないと、手段が目的になってしまう、ゴールから遠ざかってしまう、勝てるサッカーから乖離してしまう、ということを結論的には言いたかった、ということでありました。
【2008/08/10 12:50】 URL | 管理者jube #-[ 編集] | page top↑
感想
はじめまして。
いつも楽しみに見ています。
管理者さんは論文上手ですね。引き込まれました。

勝つ為のあらゆる手段を内包した効率化が求められるというのは分かりましたし、そう思います。
ただひとつの国が掲げるサッカーのテーマとしては概念が大きすぎるのではないかとも思いました。対立するものをひとつにくくるとすればより大きな次元から話をしなければならない。次元が大きくなると表現も抽象的になりがちです。抽象的だと人により解釈がかわりテーマの軸がぶれてしまいます。多くの人と共有するテーマには不向きかなと。

では1チーム11人をここでいう効率化のレベルに持っていくにはどれくらいの時間がかかるのでしょうか。
指導力がありかつ時間が許せばおそらく効率化のレベルまで達するのでしょう。
しかしたとえクラブチームであっても時間が足りないのではないかと思います。代表チームとなるとなおさら。
監督が変わり選手が変わり選手のコンディションが変わり…同じ次元で効率化を共有するのはかなり難しい仕事です。
過去に謳われるドリームチームの数々は多くの偶然が重なることにより効率化を共有できたメンバーにより構成されているのではないでしょうか。そしてそのドリームチームも輝くのはほんの短い間です。
パターン化された効率化を身上とする監督のなかにも遊びが必要とは分かっていて、でも手っ取り早く結果を出す為には仕方ないとあきらめている人もいるでしょう。
効率化は最高で究極とは分かっているが内容が大きすぎて伝わらない。伝える自信が無い。でも伝えたい。
地道に続ければたどり着くであろう究極のサッカーをたどり着くはずはないと思いながらも
追いかける儚く哀れな様がサッカーの魅力なのかなと思ったりもします。
散文となってしまいましたが興味深いテーマだったのでコメントしました。

【2008/08/10 10:36】 URL | oto #-[ 編集] | page top↑
一昔前に流行ったセクシーフットボールが近い形ですかね?
真面目にヒールキックなどトリッキーなプレーで相手をはずしてました

日本は世界のトップブレイヤーのような武器がないから(ロナウドのドリブルやクローゼのヘディングなど)読まれたら勝てないんですよね

分かっていても止められない武器(中村のフリーキックなど)がでてきたらいいんですが…
【2008/08/10 09:51】 URL | あじ #-[ 編集] | page top↑
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