オシムジャパンの1年半 オシムが目指した日本代表の完成形とは? 【オシムー岡田】ジャパンの軌跡 part1
南アフリカW杯での、
日本代表の戦いは終わりました。
そこで、
これまでの4年間を振り返っていきたいと思います。

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2006年6月。ドイツW杯。ジーコジャパンは、3試合0勝1分2敗、2得点7失点、1次リーグ敗退という結果で終焉しました。顔面を手の平で叩かれたようなショックを受け、日本サッカーには激しい失望と批判の目が向けられる事になります。そこで、川淵会長は、その批判の矛先をかわすために、批判の波を鎮めるために、1つの奇策に打って出ます。それは、「次の代表監督はオシム」、と思わず口を滑らせちゃった作戦であります(苦笑) 
しかし、この作戦は大成功でした(苦笑) 特に、普段からJリーグをよく観ていて、オシムの有能さを理解していたサッカーファンに対しては、抜群の効果がありました。そして、そういう人たちに大きな希望を抱かせて、オシムジャパンが発足します。まず最初にオシムが言った言葉は、

① 「古い井戸に水が残っているのに、新しい井戸を掘ることはしない」
② 「どこの真似でもない日本独自のサッカーを確立したい」
③ 「チームには水を運ぶ選手が必要だ」

という言葉でした。①に関しては、ジーコジャパンのメンバーの中でも、まだ使うべき選手は使っていく、という意味でした。例えばそれは、高原、巻、俊輔、三都主、遠藤、駒野、加地、坪井、川口、という選手たちでありました。つまりオシムは、まずはジーコジャパンのメンバーをベースとしてチームを作り、同時に、若手選手やオシムのスタイルに適する選手を起用・発掘し、段階的に新たな日本代表チームを作り上げていく、という方法を採ろうとしたという事であります。
そして、②に関してですが、ではそのオシムが考える「日本独自のスタイル」とは何であったのかと言えば、それは「日本選手の特性を活かしたサッカー」という事であり、更に、ではその日本選手の特性とは何であるかと言えば、「技術」・「ある意味での攻撃性」・「敏捷性」という事でありました。
最後に、③についでですが、これは、ジーコジャパンに足りなかったものを補っていく、という意味でありました。ジーコジャパンが惨敗した原因としては、様々なものがありましたが、1つには、水を使う選手ばかりを起用し、水を運ぶ選手を起用しなかったこと、つまり、チームのために献身的に走る選手、チームのために献身的に守備をする選手、そういうタイプの選手を起用しなかった事、それが原因でもありましたので、オシムはそういう選手を起用していく、という事でありました。具体的に言えばそれは、鈴木啓太や今野などの起用と、巻、羽生、山岸、阿部、など、オシムチルドレンと呼ばれた、当時のジェフの選手たちであったと言えます。

と言う事で、オシムジャパンの戦いが始まります。2006年8月9日に行われたトリニダード・トバゴ戦の先発メンバーの布陣は、2トップに我那覇と田中達也、中盤はダイヤモンド型でトップ下に山瀬、左に三都主、右に長谷部、守備的MFに鈴木啓太、DFラインはセンターバックに坪井と闘莉王、左サイドバックに駒野、右サイドバックに田中準磨、GK川口という「4-3-1-2」でありました。そして、この初陣の結果は素晴らしいもので、結果は「2-0」で勝利。まさにオシムサッカーがすぐさま形となって現われた素晴らしい内容の試合でありました。

しかし、この後、2006年のオシムジャパンは、イエメン、サウジアラビア、イエメン、ガーナ、インド、サウジアラビア、と試合を重ねていく訳ですが、その中で、いくつかのポイントとなった事項を挙げていくと、

① 守備的な選手はともかく、攻撃的な選手のプレーの質の低さが目立った。
② トータルフットボールのような高度な戦術を実現しようとしたが、選手の個の能力が明らかに足りず不可能だった。

という事でありました。①に関して述べると、この時期はまだ国内組と若手の選手のみが召集されており、当時海外組だった選手たち(俊輔、高原など)は召集されていませんでした。そして、やはり国内組の選手たちと海外組の選手たちには、明らかに個の能力、特に技術力という部分に差があって、周囲からも、なぜ海外組の選手を招集しないのか? という声が上がるようになっていました。但し、この、なぜ海外組の選手を招集しないのか? という部分に関しては、オシムの2つの方針に起因していたもので、1つには、今はまだ新たな選手を発掘したり若手を育てたりする時期である、という事、もう1つには、海外リーグでプレーしている選手たちはそちらに集中させてあげたい、または、ハードスケジュールでコンディションの悪い状態であったり、どうしても合流が直前になるのでチーム戦術などを浸透させられない、という事でありました。但し、この事については、ちょっと違う見方も個人的にはしていますので、それは「演出家イビチャ・オシム」このエントリーを御参照下さい。
次に、②に関して述べると、これは後の岡田ジャパンでも最大の問題点となった部分でありますが、つまり、理想とする戦い方と日本人選手の能力とが、大きく乖離していた、という事であります。この頃、オシムから出ていた言葉として、ポリバレント、という言葉がクローズアップされていた訳でありますが、ポリバレントとはすなわち、ポジションの相互互換性を実現するための、多様性という一種の選手の能力の事である訳ですが、それはトータルフットボールの実現のためには、選手の能力として必要不可欠なものである訳ですが、そのポリバレント性と運動量というのを強く求めたために、選手はその事ばかりにパワーを奪われて、本来の持ち味としていたプレーが発揮できず、チームとしては機能性を失ってしまう事になった、要するに、ハイプレス&ポゼッションという理想を実現しようとしていた、後の岡田ジャパンと同じ問題を起こしていた、と言う事であります。

と言う事で、年が明けて2007年、オシムは2つの方向転換を行います。1つには、海外組の早期召集という事ですね。最初は、アジアカップでも海外組の選手は起用しない、という方向性であったと思いますが、このままでは良い結果を望めない可能性が高い、という事で、また、周囲からも海外組を使うべきだという強い批判めいた声が上がってきていた事で、オシムは予定よりも早い時期での海外組の召集を行いました。
しかし、オシムの中では、その海外組の選手が活躍できるかという事には、なぜ海外組の選手を招集しないのか? というところで2つ目に挙げた理由、それによって、半信半疑に思っているなという部分は感じられていました。しかし、その初の海外組を召集しての、2007年の最初の試合となったペルー戦で、高原と俊輔は、流石と思わせるような質の高いプレーを見せ、高原は1得点、俊輔は1アシスト、という結果も出し、これによってオシムの心は大きく切り替わりました。また、このペルー戦では、憲剛も良いプレーを見せて、おそらくこの事によって、オシムの中で、海外組中心のチーム作りへの方向転換、ポゼッションサッカーへの方向転換、というものが行われたように思います。

続くキリン杯のモンテネグロ戦。スタメンは、高原、矢野、山岸、遠藤、憲剛、鈴木、阿部、中澤、坪井、駒野、楢崎、でありました。この試合は、1点目は遠藤→中澤、2点目は憲剛→駒野→高原、どちらも高い個人技が発揮されたゴールで快勝しました。更に次のコロンビア戦は引き分けでしたが、スタメンは、高原、遠藤、俊輔、稲本、憲剛、啓太、中田浩二、駒野、阿部、中澤、でした。この試合は、当時海外組だった稲本と中田浩二がテストされた事にプラスして、遠藤、俊輔、憲剛、という3人が同時にピッチに立つ、完全なるポゼッションサッカーを目指した布陣となりました。
残念ながら、稲本と中田浩二はパフォーマンスが悪く、後のアジアカップのメンバーには選ばれませんでしたが、これで完全に、海外組中心のチーム作りへの方向転換、ポゼッションサッカーへの方向転換、というものが行われました。但し、そのポゼッションサッカーへの転換という部分に関しては、対アジアカップ仕様という側面もあって、アジアカップは酷暑の環境となる事が事前に判っていましたから、走り回る戦い方ではなく、ポゼッション率を高めて、パスを回して戦っていこう、それで省エネのサッカーをしていこう、という考え方をした事が1つと、もう1つには、先の経験から、日本と対戦するアジアの格下の国のチームは、リトリート戦術や堅守カウンター戦術を採ってくる事が多いので、カウンターサッカーはできない、つまり、日本のポゼッションする時間が多くなって、そこからどうやって得点を奪っていくのか、そこに比重を置いた、という事もありました。

そして、2007年のアジアカップ。やはり大会は酷暑という厳しい環境の中で開催されました。初戦のカタール戦、日本代表は「1-1」と引き分けます。ゴールは高原でした。しかし、カウンターから相手にFKを与え、それを直接決められての、引き分けという結果でした。第2戦のサウジアラビア戦、日本代表は「3-1」と勝利します。高原が2得点、PKから1得点し、3点のリードを奪った日本でしたが、その後、サウジアラビアの選手が1人退場したにも関わらず、1点を返されてしまうという試合でした。第3戦のベトナム戦、日本は「4-1」と快勝し、決勝トーナメント進出を決めます。
決勝トーナメント、準々決勝の相手はオーストラリア。CKから先制点を奪われる展開でしたが、高原のゴールで同点に追い付き、試合は延長戦でも決着が付かず、PK戦となります。そして、PK戦を制して、日本が準決勝に進出しました。決勝トーナメント、準決勝の相手は、予選ステージでも対戦したサウジアラビア。前半は、またもCKから失点しますが、中澤のゴールで同点に追い付き、「1-1」で終了。後半もサウジが先に得点を挙げ、日本は阿部のゴールで再び同点に追い付く、という展開でしたが、結局日本は3点目も奪われて、スコア「2-3」、準決勝で敗退という事になりました。韓国との3位決定戦、日本はPK戦で敗れ、2007年のアジアカップは、第4位という結果で終える事になりました。

この2007年のアジアカップで見えた、日本代表の現状というのは、

① ポゼッション率が高いという事が攻守においてアドバンテージになっていなかった。パスはよく回っていたが、シュートチャンスは少なく、シュートも打たず、得点は高原の高い個人技と決定力のみに依存していた。また、ポゼッションサッカーは、明らかに格下と考えられる相手には通用したが、同等以上の相手には全く脅威となるようなサッカーとはならなかった。1トップは機能せず、2トップが機能した。
  
② 相手のカウンターに弱く、個人技で仕掛けられると脆さを露呈した。バイタルエリアの守備の弱さも感じられた。また、CKからの失点が多かった。相手に退場者が出て、日本が数的優位となる試合も多かったが、その数的優位という事を全く活かせていなかった。

という事でありました。結局、後の岡田ジャパンでも問題となった部分が、このアジアカップ当時のオシムジャパンでも、既に出ていた、という事でした。

明らかに実力差があるベトナム、そして、予選ステージの時のサウジアラビアというのはチーム状態がとても悪く、そういう相手には通用したポゼッションサッカーでしたが、それ以外の試合では、パスは回せていても、それが攻撃の脅威とは全くなっておらず、ほとんどの得点は高原の高い個人技と決定力に大きく依存したものであり、また、カウンターに圧倒的に弱いという部分が顕著でありました。 更に、サイドバックが攻撃に比重を置くと、守備力が大きく下がるという事、そして、ダブルボランチで守る中盤の底は守備力が弱かったという事、また、1トップではなかなか前線にボールが収まらず、2トップにする事で機能していた事、そういう部分も明確に現われていました。ちなみに、この時のスタメンは、ほぼ固定で、高原と巻の2トップ、左遠藤、右俊輔、ダブルボランチに憲剛と啓太、左SB駒野、右SB加地、CBは中澤と阿部、GK川口。1トップの時は、トップ下に遠藤が入り、左SHには山岸、という事でありました。

参照:オシムインタビュー 「アジアカップについて」

と言う事で、このアジアカップで出てきた課題を踏まえて、オシムジャパンは2回目の方向転換を行います。それは、オシムジャパンが発足当時見せていた、また、オシムがジェフ千葉でやっていたような、攻撃的な堅守カウンターサッカーと、アジアカップで見せたポゼッションサッカー、その2つを融合した、ある意味ではオシムジャパンの完成形、そこへの方向転換、という事でありました。
まずはしっかりとした守備から入り、守から攻へ切り替わったら、後ろの選手もリスクを怖れずに長い距離走って攻撃参加していく、という速攻がメインで、しかし、遅攻になったら、ポゼッションしてパスをどんどん回して崩していく、というもので、メンバー的には、俊輔、遠藤、憲剛、など、ポゼッションサッカーをやっていた時の選手を軸として使っていましたが、達也、前田、矢野、山瀬、大久保、という、運動量やスピードやドリブルに威力がある選手を増やし、また、俊輔、遠藤、憲剛、などにも、より走る事を要求し、安定した守備と、カウンターとポゼッション、速攻と遅攻、その両方が可能なチーム、そこを目指しての方向転換でありました。

そしてそれは、確実に完成形へと近づきつつありました。2007年8月22日、親善試合のカメルーン戦、日本は「2-0」と勝利。2007年9月8日、3大陸トーナメント、欧州遠征のオーストリア戦、日本は「0-0」で引き分け。2007年9月12日、3大陸トーナメント、欧州遠征のスイス戦、日本は「4-3」で勝利。2007年10月17日、エジプト戦、日本は「4-1」で勝利。確実に、南アフリカW杯アジア予選へ向けて、オシムジャパンは完成形への道を歩んでいました。
しかし、このエジプト戦の後、オシムが脳梗塞で倒れてしまいます。一命は何とか取り止め、現在では順調に回復し、その元気を姿を見せてくれていますが、日本代表監督の仕事を続ける事は無理だという判断から、急遽、岡田監督がその後を引き継ぐ事になり、オシムジャパンは突然の終焉。そして、岡田ジャパンが誕生する事になりました。

続く。



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【2010/07/05 11:45】 | 岡田ジャパン考察 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
オシムが4年間育てた日本代表を見たかった。
成功したか失敗は別として。
【2010/07/06 00:38】 URL | #-[ 編集] | page top↑
モンテネグロ戦ですね..。
こんにちわ。
興味深い記事でした。ありがとうございます。

ちょっとした指摘なのですが、ボリビア戦ではなくモンテネグロ戦ですね。
楢崎がスタメンで、中澤・高原のゴールの試合ですね。
【2010/07/05 13:06】 URL | あああ #-[ 編集] | page top↑
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