「オレ流」が最初の転換点 アジアレベルと脱アジアレベルの差とは? 【オシムー岡田】ジャパンの軌跡 part2
南アフリカW杯での、
日本代表の戦いは終わりました。
そこで、
これまでの4年間を振り返っていきたいと思います。

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岡田ジャパンの船出は厳しいものでした。オシムジャパンの成績や内容が悪くて引き継がれた後任ではありませんでしたし、オシムジャパンの完成形も見え始めていた矢先の監督交代でしたから、多くの人は、もうオシムが指揮を採れない事には納得していたし、このような緊急事態に、急遽、代表監督を引き受けてくれた岡田監督には、敬意を表してはいましたが、しかし、なぜ岡田監督なのか? なぜそんなに急いで後任監督を決めたのか? もう少し時間をかけてもいいから別の監督を探してこられなかったのか? そういう声が大きくありました。岡田監督の手腕に対する不安の声も多く、厳しい世論の中での、岡田ジャパンの発足でありました。

その岡田監督が、まず最初に掲げたコンセプトが、

① 接近・展開・連続
② フィジカルコンタクトを極力避ける素早い攻撃

という2つでありました。

要するに、相手が接近してきたら、素早い動きとパス回しで速く展開し、その動きを連携良くして連続させ、フィジカルコンタクトを極力避けて攻撃する、という事でありました。そしてこれは、最後まで、岡田ジャパンのコンセプトで在り続けます。

岡田ジャパンの初戦はチリ戦でした。布陣は、高原と巻の2トップ、その下に、山岸、遠藤、憲剛、という3枚を並べ、鈴木啓太の1ボランチ、4バックは、左から、駒野、阿部、中澤、内田、GKは川口という、「4-1-3-2」でありました。「4-1-3-2」は、前の「3-2」ところが守備の設定ゾーンになり、つまり、高い位置からのプレス、前の「3-2」のところでのプレスが機能性を握るという事で、初戦から、岡田監督が最後まで理想としていた、ハイプレスの実現を狙ったサッカーでありました。また、①と②のコンセプトの実現のために、ショートパスを多用した、人もボールも動くサッカー、その実現も狙ったサッカーでありました。
しかし、スコア「0-0」の引き分け、という事で、負けはしませんでしたが、内容は芳しくありませんでした。まず守備は、個々の連携が悪く、前の「2-3」でのハイプレスが機能せず、縦のコンパクト性にも欠いていたために、機能していませんでした。それでも無失点だったのは、チリの方も全く攻撃が機能していなかったためでありました。また、攻撃の方も、ショートパスを多用したサッカーによって、ミスが多く、機能していませんでした。
続く、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦では「3-0」、タイ戦では「4-1」でありましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナはとてもコンディションが悪く、モチベーションも低い状態でありましたし、タイは明らかに格下、という事で、チームとしてどうであったか、という事を問えるような試合とはならず、ほとんどそういう連携などは無いまま、個人の力だけで得点を取り、勝利したものでありました。

但し、1つだけ、これは後々も岡田ジャパンの大きな問題となってた部分なのですが、数的優位の作り方とサイド攻撃、この部分に関しては、すでに問題が出ていました。小さな局面に人数をかけて、そこで数的優位を作り、そこでショートパスを多用して起点を作り、そこから逆サイドへ展開する、という事をやっていた訳ですが、その展開された逆サイドには、SB1枚しか存在しない、という事が多く、逆にそこでは数的同数か数的不利になってしまい、そのことによってサイド攻撃が機能しない、という事でありました。
これは要するに、数的優位の作り方という部分で、その方法が間違っているという事であり、本来、数的優位の作り方とは、起点になる方にはあまり人数をかけず、少ない人数で起点を作る事によって、相手の選手の多くをそこに引き寄せ、そこから例えば逆サイドに展開する事によって、その逆サイドで数的優位を作り出す、これが本来の数的優位を作り出す方法なのですが、その真逆をやってしまっていた、という事でありました。

そして、岡田ジャパンの最初の転機が訪れます。それは、2008年2月17日から開催された、東アジア選手権と、その直後の、南アフリカW杯アジア3次予選、バーレーン戦でありました。東アジア選手権で岡田ジャパンは、北朝鮮に「1-1」、中国に「1-0」、韓国に「1-1」、という成績で終わり、結果は2位という事でしたが、内容は散々たるものでありました。
北朝鮮戦では、既にハイプレス&ポゼッションというサッカーをやろうとして、SBが最初から高い位置取りをする戦い方でやっており、カウンターから、チョン・テセ1人の個人技であっさり失点してしまう、という内容でありました。次の中国戦では、結果を出さなければならないという事で、そのハイプレス&ポゼッションというサッカーを一時的に封印し、守備的な戦い方をして勝利しましたが、最後の韓国戦では、内容的にとても厳しいものとなり、韓国側の采配ミスに助けられての引き分けという結果でした。
岡田監督の攻撃的サッカーの考え方とは、両SBが最初から高い位置取りをし、2バック的になる、そしてそこに1ボランチの1枚を足した3枚で守る、というもので、これはフランスW杯時代の岡田ジャパンでも、また、横浜マリノスでも一時期やろうとしたものなのですが、その時も機能しなかったように、やはりこの時も機能しませんでした。それは、なぜならば、そういう少ない人数で守れる程の高い能力を有したCBやボランチがいないという事と、完全にポゼッションして攻め切ってしまう、また、高い位置のプレスで完全に相手の攻撃を防いでしまう、という事ができる程の高い能力を有した選手が前にもいないからで、この、岡田監督が理想とするサッカーと、現実の日本人選手の能力と、その乖離というのは、最後まで岡田ジャパンの最大の問題点となっていく訳ですね。

このように、内容的にとても悪い状態で、岡田ジャパンは、南アフリカW杯アジア3次予選、バーレーン戦へと挑む訳ですが、やはりと言うべきか、「0-1」での敗戦となりました。このバーレーン戦、アウェイという事もあり、結果がまず第一とされましたから、岡田監督は3バックを選択する訳ですが、東アジア選手権から内容的に改善されたところは全く無く、選手たちのパフォーマンスも低調なままでありました。

と言う事で、岡田監督更迭への声が厳しくなる中、岡田監督は「俺流」を宣言します。そして、この岡田監督が意図しているところの「俺流」とは何だったのかと言えば、それは、オシムが使ってきたメンバーからの決別、もっと具体的に言えば、オシムチルドレンたちからの決別でありました。ここまでの岡田ジャパンというのは、戦い方は岡田監督のものに変わっていましたが、起用していた選手というのは、巻、羽生、山岸、阿部、など、オシムジャパンで使われていた選手たちで、そこにオシムジャパンからの継承という部分が残っていた訳ですが、要するに「俺流宣言」とは、岡田監督が、自分がやりたいと考えているサッカーができると自分が考えている選手だけを選ぶ、岡田監督が能力が高いと考えている選手だけを選ぶ、そして、オシムジャパンの継承というものから決別する、という事でありました。これが、岡田ジャパンの最初のターニングポイントでした。

そして、2008年5月24日、キリンカップ、コートジボワール戦、布陣は、玉田と大久保の2トップ、左SHに遠藤、右SHに松井、ダブルボランチに今野と長谷部、左SBに長友、右SBに駒野、CBに中澤と闘莉王、GKに楢崎、となり、これがほぼ、2年先となる南アフリカ大会でのメンバーにもなる訳ですね。また、このメンバーになって、ハイプレス&ポゼッションサッカーという色が、更に濃くなっていきます。
しかし、このコートジボワール戦、日本は「1-0」で勝った訳ですが、既にこのハイプレス&ポゼッションサッカーの問題点というのがハッキリと出ていました。日本は試合開始から、ガンガン前に前にプレスを仕掛け、そのハイプレスの時間帯に得点を挙げたのですが、しかし、後半は運動量が激減して、コートジボワールの攻勢となり、日本は防戦一方になる、という展開でありました。
そして、次のパラグアイ戦、岡田ジャパンは、1トップに巻、その下に、遠藤、山瀬、俊輔、と並べ、ダブルボランチに鈴木啓太と憲剛、4バックは左から、長友、闘莉王、寺田、阿部、という「4-2-3-1」であった訳ですが、これも、後々に、「4-2-3-1」でハイプレス&ポゼッションサッカーした時に出てくる問題というのが既に露見していて、それは、

① 1トップにすることで縦にボールが入らない。
② 遠藤と俊輔どちらもドリブルではなくパス主体の選手なので機能しない。
③ バイタルエリアで選手が詰まって結局シュートまで繋がらない。

という事でありました。この当時、高原は少しづつパフォーマンスを落としており、また、本田もまだ活躍を見せておらず、当然、選出もされていなかったので、1トップでボールをある程度収められるような選手はいませんでした。そして、遠藤、俊輔、憲剛、という選手を同時に起用すれば、ある程度は高いポゼッション率を保ち続けられる、という事はありましたが、しかし、裏を狙う選手も、ロングランニングする選手も、ドリブルできる選手も、そこには存在しないという事で、ただのポゼッションするだけのサッカーとなっていました。また、ポゼッション、ハイプレス、ショートパス多用、という事で、局面に多くの人数をかける、バイタルエリアにも多くの人数をかけていく、という事で、そこで敵味方入り乱れての交通渋滞を起こしてしまい、攻撃の機能性は生まれていませんでした。

ところが、やはりここがアジアレベル、相手が格下のアジアレベルならば、日本は個の能力だけでも何とかできてしまうという部分で、2008年6月2日、南アフリカW杯アジア3次予選、ホームでのオマーン戦、日本は、松井、長谷部、俊輔(当時)、という海外組を全てスタメンで起用した、玉田と大久保の2トップ、左SHに松井、右SHに俊輔、ダブルボランチに遠藤と長谷部、4バックは左から、長友、闘莉王、中澤、駒野、GKには楢崎、という「4-2-2-2」で戦い、遠藤のCKから中澤、闘莉王の意表を突いた攻撃参加から大久保、松井のボール奪取から俊輔の右足、という3得点を奪って、スコア「3-0」で快勝します。
続く、2008年6月7日、南アフリカW杯アジア3次予選、アウェイでのオマーン戦、結果は「1-1」の引き分けでした。しかしこの試合は、40度近い酷暑の中で行われた試合で、引き分けでも良しとする試合でした。次の、南アフリカW杯アジア3次予選、アウェイでのタイ戦、日本は「3-0」と快勝。南アフリカW杯アジア3次予選、ホームのバーレーン戦でも、日本は「1-0」と勝利します。但し、このバーレーン戦は、相手のミスによるラッキーなゴールで1点を奪っただけで、内容的には悪いものでありました。
シュートを打たない。ミドルシュートも打たない。仕掛けない。縦へのスピードが無い。バイタルエリアで詰まる。ロングランニングが無い。ダイレクトプレーが無い。不用意な横パスやバックパスからピンチになる。カウンターでピンチになる。気候コンディションの判断が無い。試合の流れの判断が無い。最初から最後まで同じリズムで淡々とプレーする。センタリングの精度が無い。ゴール前での動きが悪い。そういう試合内容でありました。

この後、岡田ジャパンはウルグアイと対戦し、「1-3」と敗戦します。そして、このウルグアイ戦でも、現状の日本人選手たちの能力を考えた時に、ハイプレス&ポゼッションのサッカーで脱アジアレベルの相手と戦う事は難しい、という事がハッキリと出ていました。1対1ではウルグアイの選手方が確実に上、2対1で囲みに行っても、なかなかボールが奪えない、その状態でハイプレス&ポゼッションのサッカーをやれば、やはりこう結果になって当然、という事でした。

2008年9月6日、南アフリカW杯アジア最終予選、バーレーン戦、遠藤と俊輔のFKなどが決り、日本は3点をリードしましたが、終盤に2点を返され、「3-2」で勝利します。2008年10月9日、親善試合、UAE戦、「1-1」の引き分け。2008年10月15日、南アフリカW杯アジア最終予選、ホームのウズベキスタン戦、「1-1」の引き分け。
この時のウズベキスタンは、後に日本が南アフリカW杯でやった戦い方と同じような戦い方をしていて、つまり、「4-3-2-1」で、7枚で守り3枚で攻める、という事だったのですが、それに日本はかなり苦戦しました。とにかく日本の選手は、ウズベキスタンの選手の前でボールを回すだけで、受け手も出し手も裏を狙わないので、ウズベキスタンの激しい守備に潰される、ボールをインターセプトされる、そのようなシーンが目立ちました。しかし、シャツキフにカウンターから先制点を奪われましたが、俊輔と大久保の連携から、最後は玉田がゴールを奪い、何とか引き分けで終える事ができました。

2008年11月13日、親善試合、シリア戦、日本は「3-1」で勝利しましたが、この試合は「残念ながら強化試合としての価値は限りなくゼロに近い試合」でありました。日本が抱えている問題として、どうしても強化試合などで、強い相手と戦えない、また、欧州や南米やアフリカなのど強豪チームを招いても、それが2軍3軍であったり、コンディションやモチベーションが低かったりして、なかなか真剣勝負の試合とならない、という事があって、これはどうにもならないと言えばどうにもならないのですが、ここが1つ、日本代表の強化という部分にとって、大きなマイナス要素にはなっていますよね。

しかし、2008年11月19日、南アフリカW杯アジア最終予選、アウェイのカタール戦、ここで日本代表は「3-0」と完勝し、「岡田ジャパン最高の試合」を見せます。この試合では、いつもよりも、ボールを奪う守備ゾーンの設定を低くして、DF4枚とMF4枚で作る守備ブロック、ここがコンパクト性とアタック&カバーの守備を常に高い意識で保ち、実行し続け、そして、選手たち全員が最後まで守備に慎重に対応する集中力を切らさず、また、いつもに比べて、SBが最初から高い位置取りをするという事もなく、オーバーラップもあまりせず、そういう堅守の戦い方から、長いボールによるカウンターと、ショートカウンターと、セットプレーで、3点を奪った、という試合でした。
つまり、この「岡田ジャパン最高の試合」となったカタール戦は、後の南アフリカW杯で見せた戦い方と、かなり同質のものであった訳で、もうこの時点で、ハイプレス&ポゼッションの戦い方よりも、堅守カウンターの戦い方の方が、結果も内容も良いものが出せる、という事が明確になりつつあった訳ですね。という事で、2008年の岡田ジャパンは、最後に最高の試合を見せて終了しました。

続く。



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【2010/07/06 11:45】 | 岡田ジャパン考察 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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コメント
すごく良いです。
この四年の総括、忘れていた試合の事が蘇ります。

凄く面白いです。早く次が読みたくなります。
そして日本サッカーへの深い愛情を感じます。

オシム時代の欧州遠征のスイス戰は今でも記憶に残ってます。スイスの選手も今回のW杯に相当数参加していたかと。あの堅守のスイスと壮絶な打ち合いをして勝ったのですから、あの時の日本代表チームって、今思えば結構凄かったのではと思ったりします。
やはりオシムのチームでのW杯が見てみたかったと思います。けして岡田さんがダメという訳でなく・・・。
【2010/07/06 23:23】 URL | タケ #-[ 編集] | page top↑
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