岡田武史の挑戦 ~監督という職業~ part1
2010年7月26日、
WOWOWノンフィクションWという番組で、
「岡田武史の挑戦 ~監督という職業~」という放送をしていましたので、
今回をそれを元に書いてみたいと思います。
赤はナレーションや聞き手。
青は岡田監督の言葉。
黒は私の感想という事になっています。

記事を読む前に、
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○ W杯の激闘を終えて・・・

監督、本当にお疲れ様でした。
今、どんな気持ちですか?

「う~ん、そうですね。まあ、昨日決勝だったんでね、まあ、今朝ですけど、やっぱりあの決勝が終るまではね、テレビで試合を観てて、あれ? 俺このW杯に参加してたはずなんだけど、なんでここで日本でテレビ観てるんだろう、ってなんか妙な気持ちがあったんですよ。俺本来はこのW杯に参加してたはずなのに、当然、負けたらみんな帰るんだけど、なんかそういう感じがあったんだけど、なんか昨日の決勝を見終わって、あ、終っちゃったなっていうか、全て終ったなという感じで、今は寂しさがありますね」

「このチームはホントに、良いチームだなって、感じたそれは何かって言ったら、やっぱりよくみなさんが言う、チーム一丸になってるとかそういう事なんだけど、一つの目標に向かってなんか、みんなが無心になってた。やっぱり僕もなんだかんだ言いながらも、ベスト16だってみんなに、いや~凄い凄い、とか言われて、ダメだダメだって自分に言い聞かせるように、どっかで自分に満足している自分がいて、それをどうにか追い払おうとして、選手にも言ったんだけど、パラグアイ、良いチームだけど、相手は問題じゃないと、今日の試合は。選手が100%、チーム一丸となって力を出せたら、必ず勝てると。それだけだと。で、選手は出したんだよね。だから、それなのに勝てなかったというのは、俺が嘘付いたことになるんだけど(苦笑)、それは何かって言ったら俺に、どこかそういうものが足りなかったんだろうな、という事以外、答えが求められなかったんだよね、あの時に」


サッカーの監督には様々なタイプが存在する。


サッカーについては、隅から隅まで知っている。(ヨハン・クライフ)

全てを悟り、神の領域に達したと語る者。


選手たちは、私の言った通りにする自由がある。(ジョヴァンニ・トラパットーニ)

徹底的に管理し、自分の思うが侭に選手を動かす者。


勝つことが私の興味の大部分。残りは哲学、ポエム、そして無駄話。(ファビオ・カペッロ)

勝負に拘り、勝つ事だけが正義と定義した者。


私は岡田武史ではなくて、代表監督なんだ。(岡田武史)


監督という職業のなかで、以前、岡田さんは、決断であると。
監督は決断であると。
プラスその他に、いろいろな要素があると思うんですが、
いまいろいろな話を聞いてみて、やっぱり、
優れたアジテーター(扇動者)じゃなきゃだめだと思うんですが、どうですか?

「もちろん、アジテーターでなければいけないし、それと共に、選手たちの母親みたいな、温かさがないとダメだし、父親のような厳しさも必要だし、仕事としては決断するという事だけど、ありとあらゆる事を駆使するというかね。もあ、それは、最終的にはそれは、僕の人間なり、僕の人間のできること、やるしかないんですよね、その中で。有名な監督さんがいるからってそれを真似しても、それは絶対にダメで、やはり僕なりのチームしかできないわけで、その僕の全身全霊をかけて体当たりしていくことが、一番大事だと思っています。で、わざとアジテートしても、それはやっぱり伝わらないと思います。やっぱり、本当に自分が信じた道というのを伝えないと」


それぞれの監督が持つ、信念とか、哲学とか、そういうものは、それこそ、それぞれにあって良いと思うんですね。クライフのように、最高級を求めても良いし、トラパットーニにように、選手をチェスの駒のように考えても良いし、カペッロのように、勝利を至上と考えても良いと、私は思うんですね。そして、トルシエの場合は、トラパットーニに近かったと思うし、ジーコの場合は、欧州式ではなく南米式、もっと言えば、ブラジル式、その最高級を求めていたと思うので、そういう意味ではクライフに近かったのかもしれないと思いますが、じゃあ、岡田監督というのはどういうタイプの監督なんだろう、と考えてみた時に、あまりこれというのは思い付かないんですね。
「私は岡田武史ではなくて、代表監督なんだ」とそう言っていますが、これは、プライベートの岡田武史と、代表監督としての岡田武史は違う、という事なんだと思いますが、やはり、「最終的にはそれは、僕の人間なり、僕の人間のできること、やるしかないんですよね」と言っていますから、岡田武史であり、代表監督である、という事になると思う訳です。と言う事はですよ、岡田監督の中にある理想のサッカーを追求したという事で言えば、あえてどういうタイプの監督であるのかと言えば、クライフやジーコに近いと思う訳ですね。
特にジーコには、近かったと思う訳です。但し、ジーコは、最終的な方向転換に失敗したし、岡田監督が俊輔を外したように、ヒデもしくは俊輔を外さなかったし、そういう部分が、やはり前回のW杯と今回のW杯との、違いになったと言えば、違いになったと思う訳ですね。そしてそれは、ジーコが元々、俊輔やヒデのようなスター選手であったとか、岡田監督が元々、守備的な戦術で結果を出してきたとか、そういう部分に起因していると、私なんかは思う訳です。


○ 監督という職業

「俺は全員、みんな、選手が好きだけど、フィールドで10人しか使えない。キーパー含めて11人しか使えない。選手にとって良い監督というのは、自分を使ってくれる監督。で、みんなに良い監督だって言われようなんて思ったら、それはとんでもない、それは無理なんです。それを諦めれる覚悟」

それは言葉ひらべったく言うと、
嫌われる覚悟?

「そうだね。まあ、嫌われる覚悟というか、例えば、Jリーグの試合を観に行ったら、スタジアムの玄関でこっちをじっと睨んでいる女の人がいるわけよ。誰かなぁと思ったら、僕が落とした選手の奥さんで、あーそうだろうなぁ、この野郎と思うだろうなぁ、と。だから自分の国の代表監督をやるのは大変だって、世界中で言われるわけよ。そのあと自分の国に帰ってしまえばいい外国人の監督ならばね、やりやすいけど、ずっとこの狭いサッカー界で、また付き合っていったりするわけだから、だから自分の国の代表監督をやるのは、まあ、リッピなんかカペッロに言ってたけどね、あなたが、もしイングランドの代表監督として成果を残したとしても、仮に残したとしても、自分の国の代表監督をやるのとはわけが違う。とね」

代表監督とは、
開いたワニの口に頭を突っ込むような仕事。(アーセン・ベンゲル)

「まあ、昔、98年の時、ベンゲルがキャンプ地に来てくれて、僕がちょうどカズとか北沢を外して、大騒動していた時なんだけど、バーで2人で飲んだんだよね。で、ナショナルチームのコーチというのは、クレイジージョブだと。もう、これからだんだんやりてが無くなってくるだろうと。まあ、ある意味、割が合わない、という言い方をしていたんですよね。いまヨーロッパのトップクラスのクラブの給料と代表監督の給料を比べたら、トップクラスのクラブの給料の方がずっと高いけど、プレッシャーとか、ナショナリズムとかと絡んでるから、もう何倍も大きいし、特に自国の代表監督をやるというのは、もの凄く危険な事であると。それは、家族とかにも影響が及ぶから、だからそういう意味では、ベンゲルの言っている事にも、一理あるなとは思いますけど、僕は、逆に言うと、就任の時に言ったように、ホント、断崖絶壁なんですよ。自分次第だと思っているんです。ワニが口閉じるかどうかではなくて、自分がこの崖を登りきれるかどうか、途方も無い崖に見えたんだけど、でも、俺はこれを登っていかなければならないと思っていたんですね。まあ、似たような事かもしれないけど、僕は、自分からチャレンジした事だと思っています」


自国の代表監督をやる。これは大変だし、危険な事だ。そう述べている訳ですが、それは確かに肯けるところはある訳ですが、逆に、外国人監督が他国の代表の監督をやるというのも、それはそれで難しさはあると思うんですね。それはやはり、大きな批判をより受けやすい、また、解任もされやすい、という事だと思う訳です。その是非はともかくとして、ファルカンはすぐクビになったし、トルシエは結果を出してもW杯終了後に解任され、その後、Jリーグのクラブからのオファーは無いし、オシムの場合も、通訳がどう訳して伝えるのかという部分で、オシムが伝えようとしているニュアンスと、少し異なっているのではないかと感じる部分が多々ありましたし、そういうやり難さというのは、やはりあると思うんですね。
文化が異なる、言葉が異なる、それは大変な事だと思いますし、そして、外国人ならば、やはりあまり遠慮せずにキツイ事もマスコミやサッカー関係者は言える。しがらみが無いので、成績が悪ければ、選手からの不満の声が高ければ、ファンからの人気が低ければ、すぐに解任という事に踏み切れる。じゃあ、ジーコやオシムはどうなのかと言えば、この2人は、いわゆるファルカンやトルシエとは違い、Jリーグでの高い実績や貢献というものがありますし、日本人にも人気の高い人物ですから、半分は国内監督的な要素もあるので、オシムの場合はあれですが、ジーコの場合は、協会としてそう簡単に更迭という訳にはいかなかった、という事もあったと思う訳ですね。
じゃあ、加茂監督は更迭したけど、どうなの? という事になると、それは、成績だと思うんですね。ジーコはアジアカップで優勝したし、W杯予選も突破した。しかし、加茂ジャパンは、アジアカップの決勝T1回戦で負けたし、フランスW杯のアジア予選で敗退の危機に陥りましたから、そういう事だと思う訳です。つまり、自国の代表監督をやるという事と、他国の代表監督をやるという事と、そこにはまた性質の異なるデメリットがあって、しかし、当然、メリットもあって、結局総合的には、あまり変わらないんじゃないかと思う訳です。
例えば、もし岡田監督が、どこか他の国の代表監督をやっていたとして、今回の日本代表と同じような経緯で進んできたとするならば、即解任になったタイミングというのは、何回もあったと思う訳で、そういうところは外国の方がシビアですから、そういう要素を考えれば、自国の代表監督をやる上でのメリットというのも、あるような気がするんですね。だから結局は、「自分次第だと思っているんです」、と岡田監督自身も言っているように、本人の判断で、どちらのリスクを取るのか、そこだけかなと思う訳ですね。

そしてまた、ベンゲルが言っているような、クラブチームの監督とナショナルチームの監督との間にある、割の合わなさ、給料の差というのも、しかしそれは、一部のビッククラブと比較すれば確かにそうなんですが、全てのクラブチームと比較してそうであるという事では無いと思いますし、トップクラスのクラブの監督になれるのは、極一部の監督だけですから、「これからだんだんやりてが無くなってくるだろう」、というのは、あまりそうは思わないところなんですね。
代表監督というのはハイリスクだけどハイリターンで、結果を出せば、得られるモノも大きいですから、そういう魅力というのもがある限りは、やりてが無くなっていくという事は、ないんじゃないかと思う訳です。ただ単に、ベンゲルのような、既に成功している監督にとっては、メリットよりもデメリットの方が大きい、という事なんじゃないかと思う訳です。
しかし、1つ疑問というか、1つ素朴な疑問として思うのは、もしフランス代表の監督としてベンゲルが頼まれた時に、フランス代表が最大限にピンチで、どうしても頼まれた時に、ベンゲルはそれでも断るのか、断れるのか、それはちょっとどうするんだろうか、と思うところではありますね。


○ パスサッカーの中心選手が不調

「今年入ってから、我々のパスサッカー、その中心となる選手が、Jリーグ含めて、もの凄く調子を落としていたわけですね。で、あの試合(韓国戦)でも結局、我々のやろうとする、中心となる選手の調子が戻ってないなと。あ、これじゃあキツイなと。どこまで待つかなと。というのが、僕の中での、なんていうか1つの、あの試合で感じた、やばいなぁこの選手たちがこのままだったら、W杯でこのサッカーはできないなぁと」

そこのところで、
ある部分での、
方向転換をしたわけですね?

「まあ、みんながね、すごい、なんか方針転換した、守備的にした、とか言うんだけど、僕の中ではそういう発想ではなくて、今までの形でやりたいけど、それをやるにはやっぱり主軸になる選手が、パーフェクトなパフォーマンスをしてくれなきゃ、リスクが高いサッカーなんですから、中心になる選手がこれだけミスパスしていたら、カウンターで一発でやれらるなと。そうすると、サッカーが変わってくるなと。じゃあ我慢するけど、なんとか選手たちの良さを出しつつ、というような事を考えていって、ああいう形の、(阿部)勇樹を入れるような形を、思い付いたんですね」

あの時、四連敗しましたよね。
やっぱり、チームのムードが良くなるとは思えないんですよ。

「でもね。そんな、崩壊寸前とか、そういうんじゃなかったよ」

全く不平というか不満というのは出なかった?

「不満てどういう? 全然そんな雰囲気は無かったと思ってるよ。なんか、そうしないとドラマにならないからかどうか知らないけど、崩壊寸前だったとか、蘇ったとか、ビックリしちゃって」

「じゃあ、阿部を入れた時にどういう形が一番良いんだというところを、イングランド戦、コートジボワール戦、試したけど、ピンと来なかった。あれは、コートジボワール戦の後かな、スイスでずっと俺がこう、一日にだいたい3、4本ビデオを観たりするんだけど、その試合を何回も見直していて、夜中の3時半ぐらいに、ふと思って、あ、相手が2枚で1枚ならこっちは2枚の1枚とか、相手が1枚で2枚ならこっちは1枚の2枚とか、相手に合わそうとするから全部が1対1になっちゃうんだなと。逆に相手に合わさない、逆に相手が1枚の2枚ならこちらは2枚の1枚とか、逆にした方がいいんじゃないか、とポッと思った。それで最後出たのが、中盤を5人のゾーンで守る事。相手に合わせたりするのではなく、中盤を5人のゾーンでいくというのが、結局、ジンバブエとの練習試合をしたら、すごくいい感じにハマって、カメルーン戦までずーといい感じになってきたから、これはいけるなと」


岡田監督は、あくまで、頑なに、方針転換をした、守備的にした、という事を否定するんですが、「W杯でこのサッカーはできないなぁと」、と考えて、「中心になる選手がこれだけミスパスしていたら、カウンターで一発でやれらるなと。そうすると、サッカーが変わってくるな」、と考えて、「ああいう形の、勇樹を入れるような形を、思い付いた」、という事で変えた訳ですから、それは結果的には守備的になった訳で、方針転換をした、という事だと私なんかは思う訳ですが、違うのでしょうかね?
まあ、それは置いておくとして、なぜああいう形にしたのか、という事を語っている部分に関しては、とても興味深いなと思います。岡田監督は、イングランド戦とコートジボワール戦で、阿部を入れた形にシックリこなかった、ピンとこなかったと言っていますが、私の場合には、イングランド戦の形というのはシックリきたというか、前3枚の形にはシックリきませんでしたが、阿部を入れた3ボランチにはかなり手応えを感じましたし、また、コートジボワール戦というのは、「4-3-2-1」ではなく「4-2-3-1」だったので、正確には、阿部を起用した3ボランチシステムではなかったので、そこはちょっと、どうなんだろうか、とは思う訳です。

そして、相手に合わせると、どうしても1対1になってしまい、それを相手に合わせるのではなく、相手に合わせないゾーンに変えた、という事なんですが、要するに簡単に言えば、マンツーマン気味のディフェンス方法から、ゾーンディフェンスに変えた、という事ですよね。そしてそれを、スイス合宿の夜中に思い付いた、気が付いた、と述べている訳ですが、これは、岡田監督のディフェンスの考え方が、基本的にはマンツーマンだったという事だと思うんですね。
考えてみれば、岡田監督の得意としていた、3バックの守備的な戦い方というのは、マンツーマンを基本としてきた訳で、そしてそれを、ただ単に、守備の設定ゾーンを前に上げたというのが、岡田監督のハイプレスの正体だったかなと思う訳です。もちろんそこには、複数で囲むという事があったので、正確にはマンツーマンではない訳ですが、1人は2人で、2人は3人で、3人には4人で、という考え方が基本にあったので、やはりゾーンというよりは、ベースにはマンツーマンがあったと思う訳です。
従って、数的優位の作り方という部分で、逆転の発想になっていたというか、間違ったやり方になっていたという事もありますし、また、そのまま守備的な戦術に変えた時にも、言ってみればそれは、フォーメーションの違いはあっても、12年前のフランスW杯でやった時の守備的な戦い方と、同じになってしまっただけだったという事で、そこに違和感があったのではないかと思う訳ですね。
しかし今回は、そこをマンツーマン気味ではなく、ゾーンに変えた。正確には、阿部が主にスナイデルをマークしていたり、長友がエトーやカイトやエリアやロンメダールやサンタクルスをマークしていたり、つまり、マンツーマンとゾーンの併用というディフェンスに変えた訳ですが、そこが12年前の守備的戦術とは大きく違うところになったと思う訳です。
但し、そこに、ギリギリになって気が付いたというところが、個人的には、ちょっと残念な感じなんですね。現在では、マンツーマンとゾーンの併用というディフェンスは普通になっているし、基本的な考え方にもなっていると思うので、そこが12年前から変わらず、ギリギリになるまで基本マンツーマンという発想で行っていたというのは、そこにも、岡田監督の理想としたハイプレスやポゼッションのサッカーが上手く機能しなかった原因があったのではないかと、私は思う訳です。




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【2010/07/27 11:45】 | 岡田ジャパン考察 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
psycoroさん、コメントありがとうございます。

どうも、こんにちは。
岡田監督が、
どういうサッカーをしたかったのか、とか、
どういうサッカーを理想としていたのか、とか、
そういうものはある程度わかるのですが、
じゃあそれをどうやって具現化するんだ、という部分が、
やはり話の中に出てこないような気がするんですね。
そして、日本人監督には、そういう監督が多いような気がするんですね。
実際のところ、哲学とか信念とか、そういうものも重要なんですが、
それを具現化するための手法を持っているかどうか、
または、そのための手法をいくつ持っているのかという事が、
優秀な監督かそうではないかを分ける部分だと思いますので、
そこはちょっとどうなんだろうなあ・・・、
というのはやっぱり感じるところなんですよね。
【2010/07/27 22:34】 URL | 管理者jube #-[ 編集] | page top↑
こんにちは。
また面白い角度からの検証ありがとうございます。
そうですよね。岡田監督の良い部分、悪い部分ってあると思うんですけど、そういうものがきちんと次の監督人事に影響を与えられる事が理想ですので、こういった形での総括は必要であると思います。
以前、小野剛氏の著書で、岡田監督の事をかかれておりまして、情熱家であり、切り替えの早い人であり、アジテーターとしての能力は素晴らしく高いと手放しに褒め称えるわけです。
私が彼の人格を考える能力はありませんが、例えば、早稲田の講演で、得点の40%はセットプレイ。10%はミス。10から15%が流れから。残りはカウンターからの得点。
というようなコメントがありまして、「ああ、よくわかる。なるほどな…と」思った記憶があります。
そこで、日本代表は、岡田政権下において、セットプレイとショートカウンターを武器として作り上げられる事となったと考えています。ただし、よくわからない戦術の硬化が、(例えば数的優位の作り方のような)遅攻にしてしまい、ターゲットも置かないのにサイドからアーリー狙ったりする微妙な采配になったと思っています。結果、ほとんどの得点はセットプレイのみとなって(格下には岡崎が強かったですが…)しまったと思っています。つまりカウンターになってなかったと…。
およそ35%のチャンスをむざむざ捨てていた采配であったと思うのです。要はやりたいことが多すぎてフローを起してしまったと考えています。
その事から、確かに監督としての情熱や理屈、そういったものには優れてはいるとは思うのですが、状況判断とあとは用兵力に疑問を持ちます。勿論、彼の本質理解はしていませんので、どのような能力かは実際は解りませんが、私にはそう見えてしまうのです。

part2も楽しみにしています。
【2010/07/27 18:34】 URL | psycoro #-[ 編集] | page top↑
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