ドラガン・ストイコビッチ。名古屋グランパス優勝までの軌跡。現役時代とはまた異なり、堅実なチーム作りでクラブを優勝にまで導いた。
個人的にも思い入れの強いストイコビッチ。
ザックリとではありますが、
そのピクシーを選手時代から振り返ってみました。

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○ 選手時代(名古屋グランパス時代)

ストイコビッチが選手として名古屋グランパス(当時はグランパスエイト)に入団したのは1994年の事でした。ストイコビッチというと、ヴェンゲルとセットというイメージがあるかなと思いますが、ヴェンゲルが名古屋の監督に就任したのは1994年の11月であり、ストイコビッチはそれよりも前に来て、名古屋でプレーしていました。
そして、とにかく来日当初のストイコビッチというのは、イエローカード、レッドカード、を貰いまくっていましたね(苦笑) Jリーグの審判の基準というものが解らず、また、執拗にマークを受けたという事もあって、かなりイライラしながらプレーしていました。他にも、名古屋グランパスが弱かった、周囲の日本人選手のレベルが低かった、それもイライラの原因だったかなと思います。
そして、ヴェンゲルが名古屋の監督に就任してからは、Jリーグの水にも少しづつ慣れていったという事もあって、来日当初よりは我慢してプレーできるようになっていましたが、それでもやはり、報復行為や審判への侮辱行為などで、カードを貰う事は多かったですね。それによって退場になったり、出場停止などがあったりして、チームに迷惑をかけたという事も残念ながらありました。
しかし、そういうマイナス面を補って余りある活躍、プレーの質、観客を魅了する技術、チームを勝利に導ける能力、というのは素晴らしいものがあって、ジーコやブッフバルトなどに匹敵するような、Jリーグのレベルアップや人気アップへの貢献者の1人であった、という事は書くまでもなく間違いの無いところですよね。個人的にも、伝説となっているような、ストイコビッチの数々の素晴らしいプレーというのは、今でも鮮明に記憶しています。
ヴェンゲルは1996年の9月28日に名古屋グランパスを離れましたが、ストイコビッチはその後も同チームで2001年までプレーしました。その華麗なプレーが最も印象に残っていますが、プレー以外のところでも、優勝争いの重要な試合の前にユーゴスラビア代表の試合を優先して帰国してしまい、それに怒ったサポーターがピクシーの乗るバスを取り囲む、という出来事があったのですが、その時のピクシーの悲しそうな顔は強く印象に残っていますし、また、フランスW杯直前に、日本代表とユーゴスラビア代表の試合が行われ、日本の国家斉唱の時にユーゴスラビアの一部のサポーターがブーイングをするという出来事があって、それを必死で止めさせようとしていたピクシーの姿も強く印象に残っています。


○ 監督時代(2008年)

引退後は、母国のサッカー協会会長を務め、その後、レッドスターベオグラードの会長を経て、2008年に名古屋グランパスの監督に就任しました。ちなみに、名古屋の監督に就任するにあたって、ピクシーの保持していたライセンスが日本で監督になるために必要なS級ライセンスに該当しなかったため、ちょっとゴタゴタしたという事があって、結局は、そのS級ライセンスに該当する資格を開幕前に取れたので一件落着しましたが、そういう事もありました。
そして、ピクシー采配一年目となる2008年ですが、いきなり素晴らしいサッカーを見せてくれました。正直、ジーコという前例もありましたから、個人的にはあまり大きな期待をしていなかったというか、かなり手腕には半信半疑だったのですが、それを見事に覆してくれました。
主なメンバーは、ヨンセン、玉田、マギヌン、小川、吉村、中村直、阿部、竹内、増川、吉田、楢崎、山口慶、米山、杉本、巻、パヤリッツァ、青山、西村、でありましたが、サイド攻撃を中心として、全員がサポートに献身的に動き、球離れ良く、ダイレクトパスを多用し、リズミカルに攻撃していく、その攻撃における機能美の高さは素晴らしものでした。また、多くの若手選手を起用し、その選手たちを活かしきったこと、これも素晴らしいと感じました。
しかし、その一方では、最終的に第3位で終ってしまった原因、その問題点というのも2つあって、それは、1つには、運動量過多であった事で、それが原因で高いパフォーマンスが発揮できなかった試合もありましたし、また、リーグ終盤の大きな失速にも繋がってしまった、という事であり、もう1つには、若手を多く起用していたという事もあって、どうしても泥臭さや老獪さというものに欠けているところがあって、それが、リードするとなぜか守備がバタバタし始めて失点してしまう、という部分に顕著に表れてしまっていた、という事ですね。


○ 監督時代(2009年)

と言う事で、2009年は、特にその「運動量過多」という部分を改善しよう、という動きが強くなり、高さとポストプレーを得意とするヨンセンを放出して、スピードと得点を取る事を得意とするダヴィを獲得し、前年よりも、もう少しカウンター寄りの戦術、省エネで、効率的に勝てるような戦術への変更を試みた訳ですが、これがあまり上手くいきませんでした。また、補強としては、前年は右サイドバックの人材に悩んだという事があって、横浜Fマリノスから田中隼磨を獲得しました。
主なメンバーは、ダヴィ、玉田、マギヌン、小川、吉村、中村直、阿部、増川、吉田、田中、楢崎、杉本、という感じでしたが、なかなかその、省エネサッカー、効率的に勝つサッカー、つまり、ダヴィを軸としたカウンターサッカーへの変更というのが上手くいかず、また、ACLへ参戦して溜まった疲労という事もあってか、前年のサッカーの良さであった、サイド攻撃を中心とした、全員がサポートに献身的に動いて、球離れの良いダイレクトパスを多用した、リズミカルな攻撃というのが少なくなってしまい、それに加えて、守備が老獪さを欠くという部分は残っていましたから、結局最終的には第9位という成績で終ってしまいました。
但し、結果的には、その試みは上手くいきませんでしたが、Jリーグが暑い時期に試合をする事が多い春秋制であったり、トータル的なJリーガーのスタミナや守備力の問題であったり、ターンオーバーをするような戦力が揃えられないという事であったり、そういう事を考慮すれば、省エネで、効率的に勝てるような、カウンターサッカーへの移行というのは理に適っている訳ですから、それを目指そうとした方向性というのは正しかったと思いますし、また、結果的には、この2009年の試みというのが、翌年の優勝の土台になったと思う訳ですね。


○ 監督時代(2010年)

そして2010年、まずグランパスは大幅な戦力補強を行いました。前年の後半にはケネディと三都主とブルザノビッチを既に獲得していましたが、2010年には、金崎、闘莉王、ダニルソン、という選手を補強。これにより、前年には人材難だった右サイドバックを補強し、2010年には更に、人材不足があったボランチ(守備的役割)と、守備に安定をもたらす経験豊富で能力の高いCBを補強して、優勝へ向けての戦力は充実する事となりました。
主なメンバーは、ケネディ、玉田、金崎、マギヌン、ブルザノビッチ、ダニルソン、阿部、田中、闘莉王、増川、楢崎、杉本、小川、中村直、三都主、という事になり、安定的且つ強い守備を手に入れ、粘り強く戦いながら、玉田と金崎のドリブル、突破力、というのを軸に、ケネディがゴールを量産する、または、闘莉王が守備面だけでなく攻撃面でも大きな活躍を見せて、Jリーグ史上最多となる23勝を挙げ、しかも、第31節での優勝を勝ち取りました。
2008年に培った優勝への自信と渇望。2009年に培ったJリーグで優勝するための戦術への土台。そして、2010年は、その2つの積上げの上に、まだ足りなかった戦力、老獪さを生み出す経験、攻守における残り3分の1のエリアにおける強さ、それを上積みする事に成功し、それが、名古屋グランパスが優勝できた要因であったように思います。
選手時代には華やかなプレーを見せる一方で、忍耐の足りない姿も見せる事が多かったストイコビッチですが、監督としての手腕としては、かなり手堅いチーム作り、着々と一歩一歩、堅実にチームを作るような采配を見せ、前年からの修正というのをしっかりやって、名古屋グランパスを優勝へと導きました。選手時代に、天皇杯などの優勝はあっても、リーグ戦での優勝が無かったという事が残念ではありますが、それを監督になって戻ってきて、その雪辱を果たせた、という事になりますね。


○ 2011年へ向けて

以上、かなりザックリとではありますが、ストイコビッチと名古屋グランパスを、ピクシーの選手時代から振り返ってみました。そして最後に、来季へ向けて、という事になりますが、今季優勝した名古屋グランパス、確かに強かったし、その勝負強さは特筆すべきものでしたが、実際のところ、圧倒的な強さを見せていたのかと言えば、そうではないところがありました。
下位チームへの取りこぼしというのは、ほとんど無く、下位のチームやその時に好調ではなかったチームには勝負強さを見せた名古屋でしたが、上位チームであったり、その時に好調であったチームには、大量失点で負ける事が多かった、という事がって、その大きな原因が、中盤の弱さ、これは攻守においての中盤の弱さ、というのが少しあった事だと思っています。
中盤に外国籍選手3人を配置して、ポゼッション率を高めた攻撃的なサッカーを理想としていたと思いますが、実際には、玉田と金崎の個人による突破を軸としたカウンター気味のサッカーになっていて、その部分が、上手くはいかなかったですが、前年のカウンターサッカーへの模索という事が糧になっていたのではないか、というのが個人的な分析なのですが、しかし、中盤での攻守における威力が優勝クラブとしてはイマイチ、というのが、圧倒的な強さを生み出せなかった原因になっていると思う訳ですね。
従って、来季には再びACLへの参戦というのは決っていますし、また、Jリーグでも、優勝クラブに相応しい、圧倒的な強さを見せるようなクラブになっていくためには、中盤の攻守における弱さというのを改善していく必要があると思いますので、そこをどうしていくのか、という事を、ストイコビッチ監督の手腕として、注目しておきたいところだなと考えています。




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【2010/12/11 11:45】 | Jリーグ2010 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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コメント
jubeさま、はじめまして!
ブログ、楽しく拝見させて頂ききました。
ストイコビッピ監督が選手時代に審判にレッドカード出し返す姿が、未だに心に残っています。
名古屋グランパス、前回のカップで中東のチーム大量失点してしまいましたので、
今回はJリーグ王者として、アジアチャンピオンに輝いて欲しいですね。
【2010/12/12 15:43】 URL | gari #-[ 編集] | page top↑
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