いやもう「幻滅」ですよ・・・。「これから」ではないのでしょうか?引き際は自らが決めることで、ヒデの人生はヒデの人生であって、他人がとやかく言うことでは無いですが、それにしても責任はどこへ行ってしまったのでしょうか?彼が「リーダー」に成り得なかった要因がハッキリ見て取れますね。
彼の輝かしい経歴は今更語るまでもありません。本当のサッカーファンならば、彼が高校生の時代から引退するまで、余すことなく見続けてきたと思いますから。とりあえず彼の人生の絶頂はローマに移籍した時で、その後パルマに移籍した後からはパッとしないまま引退まできたという感じです。
彼のHPも見ました。「大きな理由というものはない」という言葉が引退の理由でしょう。若い頃から常に周囲の「期待」に応えてきたヒデ。しかし、いつからかその「期待」に応えられなくなっていく自分。周囲の目が「希望の星」として彼を褒め称えていた時代は過去り、彼への評価は「期待」から「失望」へと変っていきました。もちろんそれは彼への「大きな期待」に対する裏返しでもあったわけです。彼はそういうプレッシャーを「サッカー哲学を語る」ことと「マスコミに対する反感」ではね返してきたわけです。本来のヒデはマスコミ嫌いではなく「語る」ことを好む人物であることは若き頃の彼を見ていればわかります。まあ、彼のマスコミ嫌いは「マスコミによってダメにされた前園」という悪しき先例の二の舞に自分はならないようにしようとする彼の防御策でもあったわけですが・・・。それは正しい判断で、ヒデは成功しました。マスコミに踊らされず「サッカーに徹し自らを鍛える」ことでサクセスを手にすることができました。その時のヒデはとても大好きでした。尊敬すらしていました。賞賛に価する選手でした。そして未来のサッカー選手に対する素晴らしい手本でもありました。
しかし人間は弱いものです。成功は転落への道でもあるわけです。サッカーマスコミ(特に自分を批判するメディア)への反発は度を増して強くなり、その一方、ヒデの商品価値は上昇していき、彼の収入は年俸よりもスポンサー契約や出演料が多くを占めるようになりました。しかし、皮肉にも彼のタレントとしての価値が上がるに反比例して、彼のパフォーマンスは下がっていきました。居場所を失うことを怖れ、怪我を隠したままプレーし続けたことも致命傷になったと思います。この思うようにプレーできない自らの焦りは「周囲への批判」という最も悪い方向へ出てしまいました。これがドイツW杯への布石となる彼の姿でした。
なぜ、彼の引退に私が「幻滅」したのかというと、それは、まだ彼のサッカー人生が、
「ようやく折り返し地点にきた」ところだったからです。彼が引退する時期と考えた「今」は折り返し地点に過ぎないからです。今の彼の引退は、
「エリートが周囲の期待に応えられなくなって逃げてしまった」
「カッコイイ自分を演出したまま逃げてしまった」
「革命半ばで、もう嫌だ、と逃げてしまった」
「サッカー人生初めての挫折に挫けてしまった」
という以外に考えられないからです。あまりにも辛辣すぎるでしょうか?「今まで夢をありがとう、ご苦労様」それでいいのですか?ヒデの日本サッカー、いや、サッカーそのものに対する情熱はそんなものですか?彼が理想として哲学として掲げたものは何だったのですか?カズやゴンが現役で頑張っている中で自分だけは栄光を背負ったまま引退するのですか?やり残したことは路地裏でボールを蹴ることで解消されるのですか?
折り返し地点はゴールではありませんよ。自分が中心でいられなくなったら辞めていく。そんな現代の若者を象徴しているようで悲しいですね。私もヒデと同世代の人間ですから憤りは尚更です。いろんなことが自分の思い通りにいかなくなったから立ち去るという心のスタンスではW杯で勝てるはずありません。ジダンのように最初から引退を表明していたならまだしも、彼が臭わせていたのは「代表引退」であったことも納得いきませんしね。
「今回惨敗したことに対する悔しさ」は無いのでしょうか?もう一度、心機一転、日本のサッカーの強さを世界に証明したいという心意気は無いのでしょうか?原点回帰、もう一度冷静に自分を見つめ直す為の一時的な引退ならば大歓迎しますが・・・。
もちろん、日本サッカー界を牽引してきた彼に対する賛美の言葉を並べたい心情もあります。しかし、今はそういう気分にはなれません。