西野朗監督とガンバ大阪 「後一歩が不足し続けた10年間。バランスが取れなかった10年間。」
2002年に就任した西野監督。それから3年後の2005年、大黒、アラウージョ、フェルナンジーニョ、という前線のトライアングルが爆発的な得点力を発揮し、ガンバ大阪はJ1リーグで初優勝を果たしました。その後、2006年は3位、2007年も3位。2008年は8位と少し低迷しましたが、ACLでは見事に優勝。同年のCWC、マンチェスター・ユナイテッドとの試合は印象深いところでした。

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2009年は再び3位。しかし天皇杯で優勝。2010年は2位。そして、2011年は、またもや3位で終わり、2ステージ制の頃から数えると、2002年は年間順位で3位、2003年はやや低迷、2004年は、ファーストステージで4位、セカンドステージで3位、という事で、10年間で7回の3位を記録しており、西野ガンバはブロンズメダルコレクターだった、と言えると思います。

爆発的な攻撃力、得点力、それを武器に安定した結果を出していたと評価できる一方で、しかし、守備力の低さから重要な試合で勝点を逃したり、また、シーズン序盤で不調、逆に、シーズン終盤で失速、という事も恒常化していたところがあり、結果とは裏腹にシーズン中の好不調の波は激しく、優勝するには常にもう少しの安定した守備力が足りなかった、そのように言えると思います。

但し、2008年のACL、決勝のアデレード戦の第1戦と第2戦、この時だけ限定で、攻守にバランスの取れたチームがそこにあって、ここが西野ガンバの絶頂期だったように思います。「4-2-3-1」。ルーカスの1トップ。トップ下に遠藤。左SHに二川。右SHに佐々木。ダブルボランチは明神と橋本。左SBに安田。右SBに加地。CBには山口と中澤聡太。GKは藤ヶ谷。

選手間のバランス、左右のサイドのバランス、セントラルとサイドのバランス、上下間のバランス、全てのバランスが絶妙で、アデレードを結果内容共に一蹴しました。ところが、その後は中央突破偏重の攻撃にこだわったところがあり、また、守備力を求めてカウンターサッカーを模索したような時期もあって、攻撃的に戦えば失点が多くなる、守備的に戦えば得点力不足に陥る、というジレンマの袋小路にハマってしまい、やはり優勝には後一歩とどかないシーズンが続きました。

常勝軍団を作るには守備力が必要。しかし、守備陣の駒が不足していた、守備力アップを期待して獲得した選手が期待通りの活躍を見せなかった、守備の中心選手の長期離脱もあった、それから、ビルドアップを期待すればボランチ、しかし守備力を考えればその1つの前、という遠藤のポジションにも苦慮していたところがあり、それも守備力が低かったり不安定だったりした大きな原因だったように思います。

そして、西野ガンバのもう1つの特徴は、ブラジル人を中心とする優れたストライカーと共にあった事。2005年はアラウージョとフェルナンジーニョ。そして大黒。2006年はマグノ・アウベス。そして播戸竜二。2007年はバレー。2008年はルーカス。2009年はレアンドロ。2010年のドドはイマイチでしたが、2011年は途中までアドリアーノ。という事で、高い攻撃力や得点力を支え続けたのは、ブラジル人を中心とする優れたストライカーの存在でした。

但しそれも、アラウージョは1シーズンで退団。フェルナンジーニョはその後にパフォーマンスを落とし、大黒も05シーズン終了時にグルノーブルへ移籍。マグノ・アウベスは07シーズンは振るわず、そのシーズンの11月にゴタゴタがあって退団。バレーは2008年のシーズン途中で移籍し、その代わりに獲得したロニーは活躍できず。

レアンドロは5月に怪我で長期離脱し、8月には中東のクラブへ移籍。その代わりに獲得したペドロ・ジュニオールは活躍できず、チョ・ジェジンも活躍できなかった。2010年のドドは活躍できず、2011年のアドリアーノは、やはりシーズン途中の6月に中東のクラブへ移籍。その後は、一時期はラフィーニャ、終盤にかけてはイ・グノの活躍によって乗り切りましたが、ある程度の期間において安定した活躍を見せたのはルーカスだけで、このあたりも、常勝軍団を作れない原因にはなっていたと思います。

更にもう1つ特徴と言えるのは、他のJのクラブから優秀な選手を取り続けた事。アラウージョは清水エスパルスから。マグノ・アウベスは大分トリニータから。バレーはヴァンフォーレ甲府から。ルーカスはFC東京から。レアンドロはヴィッセル神戸から。アドリアーノはセレッソ大阪から。アラウージョだけは清水で大きな活躍は見せませんでしたが、他の選手は元のクラブで活躍を見せた選手でした。

日本人選手でも、藤ヶ谷は2005年にコンサドーレ札幌から、明神と加地は2006年に柏レイソルとFC東京から、中澤聡太は2007年に柏レイソルから、佐々木は2008年にモンテディオ山形から獲得しており、他のJのクラブから実績のある選手を獲得してくる、それが西野ガンバを支えていました。ちなみに、遠藤と山口は2001年に京都サンガとジェフ市原から獲得しています。

一方、生え抜きの選手はと言うと、大黒、播戸、二川、橋本、宮本、平井、安田、宇佐美、家長、倉田、下平、武井、など、これだけの選手がいますが、2011シーズンまで残っているのは、二川、橋本、平井、下平、武井、だけで、二川と橋本の2人以外は、長期間チームの軸となって活躍を見せてくれるような選手がまだ出ておらず、それが故に選手層が厚いようで実はそうでもない、という事も、後一歩のチーム力が足りない原因だったように思います。

という事で、二川、遠藤、橋本、明神、加地、山口、彼らのように長期間チームの軸として活躍を見せる選手がいて、それが上位安定のチーム力を築けていた要因であった一方で、しかし、彼らを脅かすような若手選手の出現が無い、または、そういう期待の持てそうな選手が移籍してしまう、更には、外国籍選手の出入りは激しく、その当たり外れも大きく、などがあって、なかなか選手層に厚みを出せなかった、その事によって後一歩のチーム力が不足し続けてきた、そのように考えています。

そして、西野監督の手腕という部分で言えば、なかなかバランスの良いチームというのが作れなかった、という事があったように思います。攻撃的ならば守備はザル状態に。守備的ならば得点力不足に。攻撃が中央突破に偏重したり、ベテランや外国籍選手頼みになったり、とにかくバランスの取れたチームというのを、2008年のACLの決勝のアデレード戦の第1戦と第2戦、この時だけ限定でしか実現できなかった、その事も、後一歩のチーム力を不足させ続けてきた原因だったのではないか、そのように思っています。

ある程度のベースが出来上がってから、それを維持しつつ、もう1つレベルアップさせるにはどうすれば良いのか? やはり最大の方法は、生え抜きの選手の層をどれだけ厚くできるのか? 生え抜きの選手から代表クラスの選手をどれだけ出せるのか? そこではないかと思っています。または、生え抜きの選手ではなくても、若い選手を獲得して、2~3年ぐらいかけて育てる、そういう方針というのが必要なのではないかなと思います。

そして結局は、それを実行し結果として成功させる事によって、バランスという事も取れるようになるのではないか、そのように思います。戦術やシステム面における攻守のバランス、セントラルとサイドのバランス、そしてその継続性。更には、チーム編成としての、年齢層のバランス、ポジションごとの選手層のバランス、そしてその継続性。という事ですね。


* 一部の誤記を修正いたしました。ご指摘ありがとうございます。



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