日本サッカーの育成に関する2つの提言。
現在の日本のサッカーは、1つの黄金期にあると言っても過言ではないと思う。日本のサッカーを牽引しているトップランナーたちは、世界のトップランナーたちの背中を確実に捉えている。しかし、日本のサッカーというチームは、タスキをつなぐ駅伝を走っているようなものであるから、そのタスキをつなぐ次の走者もきちんと育てなければ、やがては世界のトップチームから離されてしまう。従って今回は、日本サッカーの育成に関する2つの提言、というものを書いてみたいと思います。

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提言1 運動量至上主義からの脱却を。

年間を通して戦える体作り。90分間戦い抜ける体作り。怪我に強い体作り。そのためにトレーニングで徹底した走り込みをする事は必要だろうと思う。そのために筋トレをする事も必要だろうと思う。しかし、技術や頭脳を補う要素として、プレーにおいての過度な運動量を選手に要求し、それを美化するような考え方からは脱却するべきだと私は思う。選手に求めるべき事は、運動の量ではなく運動の質。どれだけ動いたか、ではなく、正しいポジショニング、スプリントの距離と回数、効果的なオフザボールでの動き。

私は、サッカーを観たいのであって、持久走を観たいのではない。また、量で質を補おうとしすぎる事は、質を軽視してしまう事にもつながりかねない。攻撃的なサッカーをやりたければ、個としての高い守備力を持った選手が必要。結果を重視するならば、個としての高い攻撃力を持った選手が必要。トータルフットボールをやりたければ、1人の圧倒的な個の力を持つ選手の存在と、攻守に高い能力を持ったポリバレントな選手の存在が9人は必要。いずれにしても、その要素を運動量で補おう、という事には限界があると思う。

更には、アジリティと運動量は異なる要素。スピードと運動量は異なる要素。攻守の切り替えの速さと運動量は異なる要素。かつて、ブラジル代表のキャプテンとして、ボランチとして活躍したドゥンガという選手は、アジリティ、スピード、運動量、どの要素も優れてはいなかった。ドゥンガとは「のろま」という意味でもある。しかし、高い技術と、卓越したチャンスとピンチを見極める力と、常に戦える体と、それで最高の選手であり最高のボランチの選手の一人として活躍した。華麗さは無かったが、そこには常に質があった。

デシャンも、マケレレも、ネドベドも、運動量だけが卓越していた訳ではない。技術も頭脳も卓越していた。当然、運動量で技術や頭脳の部分を補おうとはしていなかった。技術や頭脳があり、運動量があった、という事。守備的な戦い方に未来は無い、という事を言う前に、運動量至上主義の戦い方に未来は無い、という事を言うべきだと思う。量は質を伴ってこそ活かされてくる事で、質を伴わない量は烏合の衆。無駄走りが無駄ではないのは、そこに質という効果があるからで、質が無い無駄走りは文字通りの無駄走り。

育成年代の選手には、まずは技術と頭脳を。そして、それから、走れ、という事を言うべきだと思う。ただ走る事は誰にでもできる事。ただボールを蹴る事は誰にでもできる事。しかし、ウサイン・ボルトが一流のサッカー選手になれるのか、マラソン選手が一流のサッカー選手になれるのか。笑い話ではなく、そこがとても重要な部分だと思う。サッカーというスポーツの本質はどこにあるのか、サッカーというスポーツに本当に必要な事は何であるのか。そこを見誤って進んでしまった場合には、日本のサッカーに未来は無いと思う。


提言2 天才は存在しない。実力は努力でのみ身に付くと気が付かせるべき。

香川にしても、長友にしても、本田にしても、最初から欧州のトップリーグで活躍できる実力があった訳ではない。その片鱗や可能性は最初から感じさせていても、そういう選手はいつでも存在してきた。現在の育成年代の選手にも、そういう選手は存在している。しかし、そこから大きく成長する選手と、そこから全く成長しない選手と、そこはハッキリと明確に分かれてくる。サッカーに限らず、どんな分野であれ、そこで一流となるのは厳しい道であり、他人以上の努力無しにその分野で一流になった人を私は見た事が無い。

この程度でも良いだろう、と思った瞬間に、その人の成長は止まってしまう。しかし、いつまでも伸びようとする人は、いくつになっても成長する。中山雅史や森島寛晃という選手は、晩年になってから大きく成長した。身体能力は歳と共に衰えるかもしれないが、技術と頭脳の部分は年齢に関係無く成長させ続ける事ができる。逆に、技術や頭脳の稚拙さを身体能力では補えなくなり、身体能力の衰えを技術と頭脳で補おうとした時に、やっとその選手が一流になる、という事もある。やはり、答えはそこにあるのではないかと思う。

また、選手を育てる時に、褒めて育てる事、厳しく育てる事、どちらも必要だと思うが、結局は、本人が、努力するモチベーションを自分で常に高く保てるようにならなければ、いくら周囲の人が手を尽くしても良い方向へは向かわないと思う。欧州の一流選手に、何度注意しても、何度救いの手を差し伸べても、悪い素行が修正されない選手がいるが、それも同じ事だと思う。本人に、努力して修正しようという気がなければ、周囲の人が太陽になろうと北風になろうと、結局はその選手の心を動かす事はできないのだと思う。

ちなみに、努力というのは、根性の事ではない。ただ、がむしゃらになって練習をすれば良い、という事ではない。間違った方向へしてしまった努力は報われない事が多い。一時期に、とにかく何も考えずに頑張る、という事が必要な時もあるが、いつまでもそれだけでは成長できない。自分の長所と短所を考え、近い将来になりたいと思う目標を立て、そうなるための近道となる方法を知り、きちんと正しい方向へ努力する事が大切だと思う。時間にも体力にも精神力にも限界はある。効率的に努力する事が必要だと思う。

現在のUー19世代の選手も、1対1での競り合いの強さを身に付ければ、それだけで劇的に良い選手へと変わるだろうと思う。1対1で競り勝つには、技術、フィジカル、頭脳、その全てが必要で、そこを成長させる事で多くの能力が培われてくる。自信や冷静さというメンタルの部分も、それによって培われてくる。1対1で勝てないから自信が持てず、自信が持てないから冷静さが生まれてこない。そして、1対1の強さ、という能力に天才は存在せず、その実力は努力でのみ身に付く。指導者はそこに気が付かせてあげなければならないと思う。




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【2012/11/14 11:45】 | 育成・技術・練習論 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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【2013/10/24 19:37】 | #[ 編集] | page top↑
ゴルフの石川選手のお父様の話と元中日監督の落合さんの著書、両方で言われていましたが、技術があってこそ精神的余裕や冷静さが持てる、とありました。こちらのブログでも同じ様なご意見を伺えました。まさにそうだと思います。そういった方向での努力が必要ではないかと思います。
【2012/11/14 16:34】 URL | #-[ 編集] | page top↑
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