メッシの評価から判断力と分析力の話
最近、メッシというプレイヤーを注目して見ているのですが、今日も「バルセロナvsセビリア」の試合を観て感じたのは「ドリブルだけだなぁ〜」ということですね。
 
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確かにドリブルは凄くて、狭いところを突破していけるし、ボールも奪われないし、スピードもあるのですが、それだけしかないんですよね(汗) 完全無欠のドリブラーでスペシャリストですが、それにしてもプレーの幅がまだまだ狭い気がします。それに、自陣の低い位置でもドリブルするんですよね・・・、これはかなり危険です(汗) この試合(バルセロナが2−1で逆転負けした)では後半途中で交代させられたのですが、それも仕方ないなぁ、という感じです。パス交換でリズムを生み出すとか、スペースに流れるとか、そういうプレーがなくて、さすがのメッシもまだまだ経験が足りないなぁ、という感じでした。

若い選手に足りないもの、経験で培われるものとは、判断力、なんだと思いました。サッカー選手に関わらず、今の人間に欠けているもの、人間にとって最も大事な能力は何かと問われれば、判断力、なのではないかと思います。

勉強するのも、練習するのも、経験を積むのも、全ては判断力を身につけることが目的なのではないでしょうか? そしてその判断力を生む最も大事な要素が、バランス感覚、なのではないかと思います。常に自分を中立に保ち、冷静を保ち、広い視野で物事を観察し、客観的にも主観的にも自分や物事を見ることができる、その為にはバランス感覚というものが大切になってきます。そして高いバランス感覚があってこそ、高い判断力が生まれてくるのだと思います。

ゴールへの嗅覚、危険への察知(リスクマネージメント)、全てはバランス感覚から生まれる判断力によって表現されるものです。身体能力的には劣っているベテラン選手が活躍できたり、組織の中に欠かせないのは、その経験からくる判断力があるからなのだと思います。

また、その判断スピードというものも大事になってきます。じっくり考えれば、もしかしたら正しい判断というのは高い確率で可能かもしれません。しかし、サッカーというのは常に流れているわけですから、考える時間というのは限られています。特に最近のサッカーは時間的な余裕もスペースもどんどん少なくなっていますし、人間の人生も常に時間が流れ、刻々と状況は変化して、最近はますます時代の流れるスピードが増しています。その中で時間をかけて考えていたら、もうその判断は古い判断になってしまうかもしれません。さらに、サッカーの試合分析なども、速さ、というものがある程度必要なのかもしれないと感じています。試合を2度3度とビデオで見て分析したり、他の人の分析を参考にしてから試合分析を書けば、それは確かに内容の濃い、間違いの少ない試合分析が出来るかもしれませんが、その人の分析力というものは培われないのではないかと思います。他の人の分析をより集めてまとめれば良い分析はできるかもしれませんが、それは本当に自分の力による分析なのか、少し考えてみる必要があるのではないかと思います。

そして分析は何の為にするのかと言えば、それは「解決策」を見つける為にするのではないかと思います。日本の選手はまだそこが甘いような気がします。「決定力が無かった」「連携が悪かった」「中盤が間延びしてしまった」「ポゼッションできなかった」試合後、選手は様々な悪かった点を挙げ、それは正しいことを言っている選手が多いのですが、その分析だけで終わってしまっていることが多いように思います。一番大事な「ではどうするのか?」ということが選手の口からは出て来ないことが多いし、監督からもそういう言葉を聞けることが少ないような気がします。反町監督の経験不足もそのあたりに強く感じることができます。「原因は解った、ではその解決策は?」または「解決の為の提案やアイデアは?」そこを我々は一番求めているところなのではないでしょうか? 「ではどうしたらいいのか?」というところに辿り着けない分析は途中で終わってしまっているのではないかと思います。「皆様への質問」というかたちで私が皆様へ問いかけるのは、その解決策を知りたいと思うからであり、あまり「好きなチームはどこか?」とか「優勝するのはどこか?」とか、そういうことには興味がないので、皆様へそういうことを問いかけることはないわけです。

勉強するのも、練習するのも、分析するのも、全ては「判断力」という人間にとって一番大事な能力を養う為であり、また、その「判断スピード」をアップさせる為にやっていると私は考えています。「若者はミスをしてもいい」「失敗してもいい」というのは、そういう観点から出てくるものでありますが、無意無策でやったり、何度も同じ過ちを繰返すことは、その成長を促進させるものではありません。「ただやっている」ということは「無駄に時間を費やしている」ということと同じことになります。

「作業」と「仕事」の違いはそこにあると思います。サッカーは「作業」になってしまうと魅力がなくなります。「その試合の意味」「そのドリブルの意味」「そのパスの意味」「そのオフザボールの動きの意味」全てに意味がなければ魅力あるプレーになりません。意図がハッキリとしているならば、ある程度のミスは許されます。しかし、意味も無くしたプレーには罪が大きいものがあります。「常に、なぜ? なぜ? と他人にも自分にも問い掛けることは大切なこと」です。平山、大久保、その他の全ての若手選手に共通することは、その「なぜ?」ということが足りないのです。そして社会全体としても、今の人は「なぜ?」と他人にも自分にも問い掛けることが少な過ぎるように思います。「なぜ?」が無ければバランス感覚も判断力も生まれてきません。それだと、誤解は誤解のまま終り、間違ったものは間違ったまま終わってしまいます。他人というのは思った以上に自分の間違いを指摘してくれないものです。なぜなら「訊かれないから」なのです。ヒデもその「なぜ?」という部分が欠けていた為に上手くいきませんでした。「自分の意見を主張する」ということは大切なことですが、他人に「なぜ?」と尋ねることも同じくらい大切なことです。そしてその行動がバランス感覚と判断力というものを高めていくのだと思います。

以上、メッシの話から判断力と分析力の話になったわけですが、サッカー選手というのは本当にその時代の人間を象徴しています。そしてそのサッカーを取り巻く人間も、その時代の人間を象徴しています。「見抜く目」それは全ての人間に求められるものであり、それが全てを正しい方向へ導く道標となります。「バランス感覚」から生まれる「判断力」「判断スピード」「分析力」「分析スピード」、それが優秀か否かの分かれ道になるのではないでしょうか。

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【2007/03/06 11:50】 | 選手評価 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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