W杯終了後、ヒデの引退という衝撃ニュースと、オシムの新監督就任に関する話題が盛り上がったことで、なかなか他の選手の話題や動向がクローズアップされてこなかったのですが、私はヒデの他にもう一人、このドイツW杯の惨敗に大きく関わった選手として中村俊輔がいたと思っています。
ジーコの采配、ヒデと他選手の対立、そして、中村俊輔の不調、これが日本のサッカー協会という根本を抜きにすれば、ドイツW杯で日本代表が惨敗した三大原因だったと思っています。
中村はジーコに最も信頼された選手でした。私はヒデや宮本よりもジーコは中村を信頼していたと思います。彼は10番を背負い、ジーコジャパンでは最も貢献度の大きい選手でした。アジア予選でもアジアカップでも中村の存在は大きいものでした。特にジーコの母国でもある王国ブラジル相手に放ったコンフェデでのスーパーミドルシュートは、ジーコの心に衝撃として残ったと思います。
「世界と戦うには欠かせない選手」
ジーコはそう思ったと思います。もちろん私の勝手な想像ですが、間違いないと思います。私もそう思いました。
「ドイツW杯は中村俊輔のW杯」
世界は、今回はロナウジーニョのW杯になる、と思っていたように、日本代表に限って言えばそう思っていました。彼のFKが世界を驚かす、そういうシーンを誰もが想像していたと思います。しかし、現実はそうなりませんでした。中村俊輔はオーストラリア戦で初得点を決めた瞬間から消えてしまったのです・・・。
オーストラリア戦での激しいマーク、猛暑、そこからくる疲労で中村は完全にノックアウトされてしまいました。W杯直前から体調不良気味だったと言われていますが、それはあまり関係なかったと思います。中村はオーストラリア戦の敗戦で完全に
戦意を喪失してしまったのだと思います。そして、その責任は決して小さくありません。
「精神的な弱さ」
それが中村のウィークポイントだと言うことは言うまでもありません。フィジカルの弱さも前々から指摘されていましたが、精神力でカバーできないほど弱いわけではないと思います。
この中村の早々のリタイアはジーコにも予想外だったと思います。そしてあまりにも痛恨なことだったと思います。
中村はジーコジャパンの攻撃の中心であり、ジーコジャパンに最も貢献した選手であり、誰よりもこのW杯に『思い』がある選手だと思われていたからです。
今更記すまでもないですが、4年前の日韓W杯、彼は怪我でも体調不良でもなく、万全の状態だったのにも関わらず、直前でW杯メンバーから外されました。「この経験が自分を成長させる」そういう思いで中村は後の4年間頑張ってきたはずでした。しかし、今度こそはと思ったドイツW杯も彼のW杯とはなりませんでした。オーストラリア戦後、中村はジーコに、
「外してもらっても構わない」
と伝えたそうです。100%の力を出せる状態ではない。今の自分は日本代表の勝利に貢献できない。そういう中村なりの判断だったのだと思います。しかしジーコは、
「自らそんなことを言ってくれるな」
と中村に言い返したそうです。なんだかジーコの悲痛な叫びが聞こえてくるようです。選手を信頼する、それがジーコの信念でもあったと思いますから、中村の戦意喪失は腹立たしくもあっただろうと思います。それでもジーコは最後まで中村に期待し三戦使い続けました。当時私は、
「なぜ中村を交代させないのか?もはや戦う気力のない選手を使うのはおかしい。それに、中村自身も可哀想だ。自分はもう戦えないと自分で判っているのに、それでもなおピッチに立っていなくてはならないのは苦痛だろう」
と感じていました。
言うなればジーコは「少数精鋭」で戦うことを選んだ監督でした。常に決まったメンバーで、実績のある選手を過度に信頼するサッカーをしました。ですから、現状、ドイツW杯で中村の代りとなる選手はいませんでした。中村抜きで勝利するジーコジャパンという姿が存在しなかったのです。
しかし残念ながら、この「少数精鋭」という考え方は、すでに「時代遅れ」の考え方でした。世界は「23人の総力で戦う」という方向に進化していたのです。中心と目算していた選手が仮に消えてしまったとしても戦える、そういうサッカーがすでに世界のサッカー界では主流となっていたのです。
「つまり、戦う前から勝敗は決まっていた。」
とも言えます。前日の記事で「ヒデも宮本もジーコの犠牲者だった」と記しましたが、中村もその一人だったと思います。もちろん、中村もヒデも、ジーコの自分に対する信頼を嬉しく思っていたに違いありません。しかし、彼等に対する過度の信頼と期待は、結局、彼等にとって重いプレッシャーとなってはね返ってきてしまいました。
「4年前の悔しい思いはどうした!?やっと出場したW杯なのだから、血を吐くまで、ピッチで倒れて動けなくなるまで頑張れ!次の試合に出場できなくなってもいいから今の試合で勝利への執念を見せてくれ!」
と、中村に対してそう思う気持も強くあります。しかし、やはり、選手を交代する権限が監督にある以上、ジーコの判断が間違っていたと言うしかありません。
結局、誰もが「今回のW杯は中村俊輔」と思っていたことは当らなかったということなのでしょう。もしかしたら、中村が輝くW杯は2010年、彼が31歳になった時のW杯なのかもしれません。私はそう信じたい気持でいます。
ジーコジャパンにおける中村の存在は、ヒデと同等かそれ以上のものがありました。ですから、W杯終了後、どうもヒデばかりクローズアップされているようですが、中村の存在にもスポットライトをあてる必要があると思います。ヒデだけでなく、彼に対する批判や意見などがもっと必要なのではないかと思います。