絆が排他的な集団化すると加速度的に進化から取り残される可能性がある。
絆(きずな)、という言葉には、良い意味も悪い意味もあるのは周知されていると思うが、但し、やはり、それが、排他的な集団、という色の性質を濃くしてしまった時に、とても危険であると感じる。日本人である、それが民族的なものであるのか国籍的なものであるのか不明だが、ともかく、そういう大枠も然り、組織と組織、それから、個々の人間関係、という事においても、利害関係の一致であったり、時間や苦難の共有であったり、そういうものによって生まれる絆が、今回はマイナスに作用したと言えるのかなと。




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根底に存在しているものとして、日本人ファーストでやりたい、という意図は常に見え隠れしていて、半分においては、それは肯定されるべきものではあると思う。例えば、日本代表の監督やコーチ、それから、スタッフ、というものにおいて、栄誉、または、育成、という2つの要素が存在していると思うのだが、そのどちらの要素においても、その枠を活用したい、という事はあると思う。そして、その枠を、淀みの無いベルトコンベアのように流す、日本人という大枠において、という事が、腹の底にはあるのだと思う。

しかし、一方では、常に海外と対峙している、そして、その状況において、常に学ぶ姿勢が重要である、という観点に立った場合、日本代表という組織が排他的な集団と化してしまう事は、例えば、栄誉、という事に要素の比重が傾き過ぎた場合には、育成の遅延、あるいは、後退、という事の危険性を、大いに抱え込む事になる可能性が高い。成長を促す要素となるものは、良い意味でも悪い意味でも刺激であり、居心地の良さと身内の事情や理論が優先され過ぎた場合には、加速度的に進化から取り残される可能性がある。

それから、選手、という事においても、そこに排他的な集団が生まれていて、そこにある絆が、監督という存在よりも重要視された時、正しい戦い方よりも重要視された時、時流の変化や新陳代謝よりも重要視された時、やはり、加速度的に進化から取り残される可能性があると思う。そして、絆が排他的な集団と化す事を防ぐためには、ある特定の個や集団の利益だけを優先しない事、常に道義的や倫理的にどうかに向き合う事、その2つの事が重要であり、またそれを言葉ではなく行動で示せるのか、そこが重要だと思う。





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