2002年の日韓W杯のトルシエジャパンから学べた事。
トルシエとハリルホジッチには、いくつかの共通点があって、1つには、アフリカとフランスに縁のある監督である、という事。そして、2つには、規律とフィジカル的な要素を重要視した監督であり、更には、協会に強い要望を出すタイプの監督であり、またそのために、選手たちや協会なども含め、少なからず、それに対する批判や反発が恒常的にあった、という事。それから、3つには、監督のやりたいサッカーを実現するために、多くの若手を抜擢してチームを作った、あるいは、作ろうとしていた、という事。




このブログは皆様の応援で継続されています。
記事を読む前に、
人気ブログランキング
にほんブログ村 サッカーブログ
サッカー FC2 Blog Ranking
上記3ヶ所への応援クリックを宜しくお願い致します。
ハリルホジッチの場合も、アフリカとフランスに縁のある監督で、その経験から、規律とフィジカル的な要素を重要視し、それから、協会に強い要望を出すタイプの監督であり、それが日本に合わなかった、という事も言われていると思うが、当時のトルシエに対する同じような批判や反発が、今になってみると、正しくはなかったのではいか、と思われるところがある。トルシエジャパン後のジーコジャパンでは、規律ではなく選手の自主性、フィジカルではなくテクニックが重視されたが、結果はW杯で惨敗だった。

中田英寿などを筆頭に、トルシエジャパン時代には、強すぎる規律に反発していた選手たちも多かったと思うのだが、ジーコジャパン時代を経た後には、むしろ日本には、規律や約束事の多いサッカーの方が合っているのではないか、という意見を持つ人たちの方が増えた。また、当時は強く批判されたが、ドイツW杯後に、フィジカルが足りなかった、とジーコが言い残した事も、強く印象として残った。ジーコジャパンがドイツW杯で惨敗した原因は、それだけではなかったが、その2つの事も原因だったとは思う。

そして、トルシエの場合には、アンダーカテゴリーの日本代表の監督も兼任し、ワールドユースで準優勝、シドニー五輪代表でも良い成績を収めた、という事もあったからであるが、ハリルホジッチの場合も、アジア予選を戦う中で、川島、吉田、長友、長谷部、というベテランの選手たちは重用しながらも、特に攻撃陣に関しては、ロンドン五輪やリオ五輪の選手たちへの切り替え、という事を実行していて、それらの五輪で日本代表がやったサッカーを考えても、その方がハリルホジッチのサッカーには適していた。

ただ、トルシエと比べてハリルホジッチが不運だったのは、そういう若手の選手たちが、南アフリカW杯やブラジルW杯で中心だったメンバーたちよりも、完全に一歩抜け出すようなパフォーマンスを継続的に発揮してくれなかった、怪我であったり、所属クラブで出場機会を失ったり、という事も多かった、という部分で、それが結果を出す事やチームを成熟させる事に対して、大きなダメージを与えていたと言える。特にベルギー遠征はその最たるもので、きちんと選手が揃っていたら、という部分は否定できない。

そういう意味では、ザックジャパンを経ての反省と収穫、という事だけではなく、トルシエジャパンとジーコジャパンを経ての反省と収穫、それから、アンダーカテゴリー(特にロンドン五輪とリオ五輪)からのサッカーの継続性、という事を考えても、ハリルジャパンというのは、方向性や在り方としては、やはり正しかったと言えると思う。特にトルシエジャパンとジーコジャパンを知っている、そこにあった流れも知っている人たちにとっては、またそれをループさせるのか、という強い懸念を抱くはずだと思う。





このブログは皆様の応援で継続されています。
記事の内容が「参考になった」と思いましたら、

人気ブログランキング

にほんブログ村 サッカーブログ

サッカー FC2 Blog Ranking

上記3ヶ所への応援クリックを宜しくお願い致します。


関連記事
【2018/05/05 11:45】 | ショートコラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<【 乾貴士 】 1ゴール1アシスト、3つの得点に絡む活躍。 【 ジローナ vs エイバル 】 | ホーム | 1998年のフランスW杯の岡田ジャパンから学べた事。>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://kodahima.blog71.fc2.com/tb.php/4073-00543b5e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |