2010年の南アフリカW杯の岡田ジャパンから学べた事。
2006年のドイツW杯後の日本代表の監督はイビチャ・オシムだったので、まずはオシムジャパンから話をしたいと思うが、日本のサッカーの日本化、日本らしいサッカーの確立、それを模索するべき、または、目指すべきではないか、という事を明確に提唱したのがオシムであり、日本のサッカー界にある根強い自分たちのサッカー探しのスタートは、間違い無く、ここからだったと言える。そして、そのオシムが示唆した日本人選手たちの特性というのは、敏捷性、技術力、ある種の攻撃性、という3つの要素だった。




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そしてこれが、2008年から2012年ぐらいまで続いたグアルディオラのバルサの黄金期、つまりは、ポゼッションサッカー至上主義と重なり合い、日本らしいサッカー=ポゼッションサッカー、という事になっていくわけだが、ではオシムのサッカー=ポゼッションサッカーだったのかと言えば、そこは実は違う。酷暑の中で開催された2007年のアジアカップではポゼッションサッカーが使われたが、基本的には、オシムのサッカーを一言で言い表わせば、攻撃的なカウンターサッカーである、と言う事ができる。

つまり、どちらかと言えば、それは現在のトレンドに近い考え方をするサッカーであり、そういう意味では、日本らしいサッカー=ポゼッションサッカー、という流れは、オシムジャパンの後の岡田ジャパンから作られた、と言う事ができると思う。という事で、日本のサッカーの日本化、日本らしいサッカーの確立、それを模索するべき、または、目指すべきではないか、という事を提唱したオシムが目指していたサッカーとは、皮肉な事に、やや違う、もしくは、全く違う方向性で、日本代表のサッカーは進む事になる。

おそらくは、オシムも然り、ザックもアギーレもハリルホジッチも然り、外国人監督というのは、サッカーにおけるセオリーやスタンダード、それをベースにして、そこに日本人選手たちの特性をプラスαしたサッカー、というものを目指していた、あるいは、目指そうとしていた、そして、それが日本らしいサッカーになる、という事だったと思うのだが、それが日本人監督になると、まずは日本人選手たちの特性がベースになり、その独自性でセオリーやスタンダードを壊せる、壊したい、というように変わってしまう。

割と日本人の監督からは、常識を壊したい、という言葉をよく聞くように感じられる。守備から作るのがセオリーやスタンダードであるならば、逆に攻撃から作るとか、それから、そこに守備的な選手を置くのがセオリーやスタンダードであるならば、逆にそうしないとか。更には、守備的である、フィジカル的である、という事に対し、とても強い嫌悪感を持っているようにも感じられていて、やはり個人的には、そういう偏見や偏重から脱しないと、日本のサッカーは泥沼に嵌まる、進化から取り残されてしまうと思う。

おそらく、独自性や特性はベースではなくプラスα、と考える方が正しいのではないだろうか。外敵が存在しなく、日本のサッカーが日本のサッカーだけで存在できるならば、独自性や特性をベースにしてもやっていけると思うが、日本のサッカーも世界のサッカーの中に存在し、それは絶対に避けられない、または、その中で勝っていこうと思うならば、まずはサッカーにおけるセオリーやスタンダードをベースにして、そして、そこに日本人選手たちの特性をプラスαしたサッカー、というものを志すべきであると思う。





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