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過去の日本代表から学べた事。温故知新。修正。それが前に正しく進める道。
■ 日本は身体能力では世界と戦えない、という認識を変えるべき。

この大会が初出場だったわけだが、当時の評価としては、というか、その評価は今でも変わっていないのだが、かなり思ったよりも健闘した、というものだった。アルゼンチンとクロアチアにスコア「0-1」での引き分け。消化試合となった第3戦目のジャマイカ戦もスコア「1-2」の負けではあったが、やはり、アルゼンチンとクロアチアにスコア「0-1」という結果、特には、酷暑が味方したとか、その他の要素もあったが、クロアチアには引き分けや勝ちという結果も望めた、という事の好印象が残った。

この大会が初出場だったわけだが、当時の評価としては、というか、その評価は今でも変わっていないのだが、かなり思ったよりも健闘した、というものだった。アルゼンチンとクロアチアにスコア「0-1」での引き分け。消化試合となった第3戦目のジャマイカ戦もスコア「1-2」の負けではあったが、やはり、アルゼンチンとクロアチアにスコア「0-1」という結果、特には、酷暑が味方したとか、その他の要素もあったが、クロアチアには引き分けや勝ちという結果も望めた、という事の好印象が残った。

そして、チームの作り方、あるいは、どう戦うのか、どういう選手で戦うのか、という部分についても、一般的には、直前でカズと北澤をメンバーから外した、という事がセンセーショナルな出来事として残っているが、個人的には、それよりも頭に残っている事があって、その1つは、中西永輔の3バックの左CB起用だった。中西永輔は非常にユーティリティ性の高い選手で、GK以外のポジションは全てこなせる、という選手だったのだが、基本的にはSBの選手であり、やはりCBでの起用は意外性があった。

しかし、その起用は当たったと言えて、記憶が確かならば、中西永輔をそこで起用した理由は、身体能力で対抗できる選手は中西永輔しかいない、というものだったと思う。イタリアにもファビオ・カンナバーロという素晴らしいCBがいたが、カンナバーロも176センチ、中西永輔も174センチ、という身長でありながら、とても身体能力が高く、やはり、身体能力の高さ、というものに対して、それは必要であると同時に、日本にも身体能力で世界のトップクラスに対抗できる選手はいる、という事を思った。

いつしか、日本は身体能力では世界と戦えない、という事が既成概念化してしまっているが、よく考えてみれば、全盛期の中田英寿や本田圭佑や鈴木隆行や稲本潤一などはフィジカル的な部分での見劣りは無かったし、スピードでは岡野雅行や浅野拓磨や永井謙佑など、空中戦の強さ、という部分では、中澤佑二は欧州の中堅国ぐらいのCBに匹敵していたと思うし、そして、運動量という部分では、長友や岡崎など、それ以外にも、世界基準の中でも上位に入れるであろう選手たちは、やはり過去にも存在してきた。

従って、個人的には、日本は身体能力では世界と戦えない、という認識を変えるべきであると思っている。むしろ、そこにあると思うのは、日本人に適した身体能力の上げ方、フィジカルのあり方、という事なのではないかと思っていて、しなやかさ、柔らかさ、アジリティ、というものを消さずに、いかにして肉体的な強靭さを上げるのか、という事にあると思う。つまり、初速(出足の速さ)だったり、反応速度だったり、トップスピードでも最後まで踏ん張りの効く強さやバランスの良さだったり、という部分。

それから、2つには、フランスW杯へ挑むにあたり、最終的に当時の岡田監督が選択した布陣というのは、山口素弘をアンカー、そして、名波浩を左、中田英寿を右、という3ボランチに近い「3-5-2」、つまりは、「5-3-2」だったのだが、トルシエジャパンは、最後はフラット3を捨てた5バックのシステムだったり、本当は3ボランチ気味の中盤にしたかったのではないか、という形跡があったり、南アフリカW杯の時には、やはり2ボランチから実質的には3ボランチと言えるシステムに変えたりと。

つまり、守備、という事において、どうしても、それが中盤なのか最終ラインなのか、という違いはあれ、日本の場合は、横幅を5枚で守る、あるいは、中央を3枚で守る、という事が必要なのではないかと思う。記憶が正しければ、当時の中田英寿は、攻撃面の事を考え、トップ下の位置ではなく右のサイドボランチ的な位置でプレイする事に、どうやら最後まで納得していなかったようであるが、現実的には、やはり、横幅を5枚で、または、中央を3枚で、という事にしないと、日本の守備は厳しいのだと思う。

もちろん、そうする事で失われる攻撃力、というのは当然あると思うが、そうする事でマイナスされる攻撃力とプラスされる守備力、というものが数値化できるとしたら、そうする事でマイナスされる攻撃力よりも、そうする事でプラスされる守備力の方が、やはり大きくなるのではないか、そして、その結果として、総合力では後者の方が高くなるのではないだろうか。結果論的には、その後のW杯での結果を考えると、そうであるように思える。そして、そこを1枚減らせるようにする事が、最初の目標だと思う。




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■ ハリルホジッチは継続性という部分でも正しかった。

トルシエとハリルホジッチには、いくつかの共通点があって、1つには、アフリカとフランスに縁のある監督である、という事。そして、2つには、規律とフィジカル的な要素を重要視した監督であり、更には、協会に強い要望を出すタイプの監督であり、またそのために、選手たちや協会なども含め、少なからず、それに対する批判や反発が恒常的にあった、という事。それから、3つには、監督のやりたいサッカーを実現するために、多くの若手を抜擢してチームを作った、あるいは、作ろうとしていた、という事。

ハリルホジッチの場合も、アフリカとフランスに縁のある監督で、その経験から、規律とフィジカル的な要素を重要視し、それから、協会に強い要望を出すタイプの監督であり、それが日本に合わなかった、という事も言われていると思うが、当時のトルシエに対する同じような批判や反発が、今になってみると、正しくはなかったのではいか、と思われるところがある。トルシエジャパン後のジーコジャパンでは、規律ではなく選手の自主性、フィジカルではなくテクニックが重視されたが、結果はW杯で惨敗だった。

中田英寿などを筆頭に、トルシエジャパン時代には、強すぎる規律に反発していた選手たちも多かったと思うのだが、ジーコジャパン時代を経た後には、むしろ日本には、規律や約束事の多いサッカーの方が合っているのではないか、という意見を持つ人たちの方が増えた。また、当時は強く批判されたが、ドイツW杯後に、フィジカルが足りなかった、とジーコが言い残した事も、強く印象として残った。ジーコジャパンがドイツW杯で惨敗した原因は、それだけではなかったが、その2つの事も原因だったとは思う。

そして、トルシエの場合には、アンダーカテゴリーの日本代表の監督も兼任し、ワールドユースで準優勝、シドニー五輪代表でも良い成績を収めた、という事もあったからであるが、ハリルホジッチの場合も、アジア予選を戦う中で、川島、吉田、長友、長谷部、というベテランの選手たちは重用しながらも、特に攻撃陣に関しては、ロンドン五輪やリオ五輪の選手たちへの切り替え、という事を実行していて、それらの五輪で日本代表がやったサッカーを考えても、その方がハリルホジッチのサッカーには適していた。

ただ、トルシエと比べてハリルホジッチが不運だったのは、そういう若手の選手たちが、南アフリカW杯やブラジルW杯で中心だったメンバーたちよりも、完全に一歩抜け出すようなパフォーマンスを継続的に発揮してくれなかった、怪我であったり、所属クラブで出場機会を失ったり、という事も多かった、という部分で、それが結果を出す事やチームを成熟させる事に対して、大きなダメージを与えていたと言える。特にベルギー遠征はその最たるもので、きちんと選手が揃っていたら、という部分は否定できない。

そういう意味では、ザックジャパンを経ての反省と収穫、という事だけではなく、トルシエジャパンとジーコジャパンを経ての反省と収穫、それから、アンダーカテゴリー(特にロンドン五輪とリオ五輪)からのサッカーの継続性、という事を考えても、ハリルジャパンというのは、方向性や在り方としては、やはり正しかったと言えると思う。特にトルシエジャパンとジーコジャパンを知っている、そこにあった流れも知っている人たちにとっては、またそれをループさせるのか、という強い懸念を抱くはずだと思う。


■ 腐ったミカン問題は世の常か。

ジーコジャパンがドイツW杯で惨敗に終わってしまった原因としては、フィジカル・コンディション的なピーキングだったり、特に初戦のオーストラリア戦の交代采配だったり、当然、1つではなかったと言えると思うのだが、今回のハリルホジッチの解任劇、特にその一番の理由として協会側が挙げた、監督と選手たちとの信頼関係、という部分について言えば、ジーコジャパンは、そこに難しさが顕著な代表だったと言えると思う。

個の力として勝る海外組をジーコは重用し、実際、アジア予選では海外組の力が大きかったと言えるが、しかし、アジアカップは国内組のみで優勝しており、その結果、海外組と国内組、という派閥が生まれてしまっていた、という印象を個人的には持っている。そしてそれは、海外組を中心にした「4-4-2」が良いのか、国内組を中心にした「3-5-2」が良いのか、というシステムな選択にも影響を与えていたと感じられた。

それから、常にアグレッシブに戦いたい攻撃陣と、場合によっては下がって戦いたい守備陣と、そこにも意見の相違が生じていたし、ボランチ起用された中田英寿が、守備を放棄して攻撃参加してしまう、その結果、守備面だけではなく攻撃面でも、中村俊輔とプレイしたいポジションや役割が試合中に重なってしまったり、もう1枚のボランチであった福西崇史が攻撃参加できなかったり、そういう部分にもまとまらない感があった。

そして、そういう事に対して、ジーコは最後まで解決できなかった、しなかった、と言える。実際には、最終的には、海外組か国内組か、「4-4-2」か「3-5-2」か、という事についてはともかくとして、どちらかと言えば、守備陣側の意見を採用したと思うし、中田英寿の方を説得して、という事でドイツW杯には挑んだと思う。しかし、直前のマルタ戦からその兆候はあったのだが、残念ながらW杯の初戦でチームは崩壊。

そのドイツW杯の初戦のオーストラリア戦は、先制点を奪いながら、終盤に3失点して逆転負け、という衝撃的な試合として記憶されていると思うが、問題になったのは後半38分の柳沢から小野へという交代策。それについてジーコは、「小野をボランチに入れることで中田を上げ・・・」、という事を後日に語っていたようであるが、個人的な見解としては違う。ピッチ上での動き、というのは、そうであるようには思えなかった。

個人的に見えていたのは、終盤になり、苦しい展開となった時に、それでもアグレッシブに戦うのか、いや、下がって守り切るのか、という事に意思統一が成されず、また、その状況で中田英寿が前に攻撃参加してしてしまう事が多かったので、FWの柳沢との交代でボランチに小野を入れ、それでバランスを保とうとした、という方だった。往々にして監督というのは、様々な事を考慮し、真実を語るとは限らない、という事がある。

しかし、そういう意図で小野で入れたと思うのだが、それが攻撃的な意図だったのか守備的な意図だったのか、おそらく、ピッチ上の選手たちにはきちんと伝わらず、という事だったように思う。しかし、そうなってしまった原因が、監督であるジーコにだけ原因があったのか、という事については、個人的には疑問に思っている。むしろ、そうなってしまった主な原因というのは、選手たちの方にあったのではないだろうか、と思う。

特に、チームとしてこうしよう、という事に対して、それに最後まで反対し続けた、一度は納得したかのように見えたのだが、結局最後は、自分のやりたいようにやる、チームとしてのやり方が云々よりも、最も自分が輝けるプレイをしたい、という事を選択した選手が存在し、やはり、それが一番の問題だったように思う。もちろん、その選手を外さなかった、という事はあるのだが、もしかしたら、外せなかった、のかもしれない。

そういう意味では、今回のハリルホジッチの解任劇にも、同じような臭いを感じるところがあり、もし、ジーコは外さなかったから、ハリルホジッチは外そうとしていたから、という事だったのだとしたら、やはり、その選択が、目先の結果ではなく、将来における日本代表、日本サッカーにおいて、プラスになるのかどうか、という事には大きな疑問を感じる。またそれは、監督と選手たちとの信頼関係の問題、と言えるのかどうか。

それが結果よりも優先された時、または、将来的な結果よりも目先の結果が優先された時、果たしてそれが、正しい道だと言えるのかどうか。ジーコジャパンから学べた事は、過去の記事にも書いたように、かなり様々あったと言えるのだが、特に、今回のハリルホジッチの解任劇、監督と選手たちとの信頼関係の問題、という事について関連させれば、それを監督の責任だと結論付ける事は、かなり危ない事であると個人的には思う。


■ ミスリードされた日本化。独自性や特性はベースではなくプラスαであるべき。

2006年のドイツW杯後の日本代表の監督はイビチャ・オシムだったので、まずはオシムジャパンから話をしたいと思うが、日本のサッカーの日本化、日本らしいサッカーの確立、それを模索するべき、または、目指すべきではないか、という事を明確に提唱したのがオシムであり、日本のサッカー界にある根強い自分たちのサッカー探しのスタートは、間違い無く、ここからだったと言える。そして、そのオシムが示唆した日本人選手たちの特性というのは、敏捷性、技術力、ある種の攻撃性、という3つの要素だった。

そしてこれが、2008年から2012年ぐらいまで続いたグアルディオラのバルサの黄金期、つまりは、ポゼッションサッカー至上主義と重なり合い、日本らしいサッカー=ポゼッションサッカー、という事になっていくわけだが、ではオシムのサッカー=ポゼッションサッカーだったのかと言えば、そこは実は違う。酷暑の中で開催された2007年のアジアカップではポゼッションサッカーが使われたが、基本的には、オシムのサッカーを一言で言い表わせば、攻撃的なカウンターサッカーである、と言う事ができる。

つまり、どちらかと言えば、それは現在のトレンドに近い考え方をするサッカーであり、そういう意味では、日本らしいサッカー=ポゼッションサッカー、という流れは、オシムジャパンの後の岡田ジャパンから作られた、と言う事ができると思う。という事で、日本のサッカーの日本化、日本らしいサッカーの確立、それを模索するべき、または、目指すべきではないか、という事を提唱したオシムが目指していたサッカーとは、皮肉な事に、やや違う、もしくは、全く違う方向性で、日本代表のサッカーは進む事になる。

おそらくは、オシムも然り、ザックもアギーレもハリルホジッチも然り、外国人監督というのは、サッカーにおけるセオリーやスタンダード、それをベースにして、そこに日本人選手たちの特性をプラスαしたサッカー、というものを目指していた、あるいは、目指そうとしていた、そして、それが日本らしいサッカーになる、という事だったと思うのだが、それが日本人監督になると、まずは日本人選手たちの特性がベースになり、その独自性でセオリーやスタンダードを壊せる、壊したい、というように変わってしまう。

割と日本人の監督からは、常識を壊したい、という言葉をよく聞くように感じられる。守備から作るのがセオリーやスタンダードであるならば、逆に攻撃から作るとか、それから、そこに守備的な選手を置くのがセオリーやスタンダードであるならば、逆にそうしないとか。更には、守備的である、フィジカル的である、という事に対し、とても強い嫌悪感を持っているようにも感じられていて、やはり個人的には、そういう偏見や偏重から脱しないと、日本のサッカーは泥沼に嵌まる、進化から取り残されてしまうと思う。

おそらく、独自性や特性はベースではなくプラスα、と考える方が正しいのではないだろうか。外敵が存在しなく、日本のサッカーが日本のサッカーだけで存在できるならば、独自性や特性をベースにしてもやっていけると思うが、日本のサッカーも世界のサッカーの中に存在し、それは絶対に避けられない、または、その中で勝っていこうと思うならば、まずはサッカーにおけるセオリーやスタンダードをベースにして、そして、そこに日本人選手たちの特性をプラスαしたサッカー、というものを志すべきであると思う。


■ 個の守備力のレベルアップが日本サッカー成長の鍵。

世界の舞台で戦うにおいて、個の守備力、これが圧倒的に足りていない、という事。それは、単純なフィジカル(身体能力)的な問題から生まれている場合もあるが、それと同じぐらい不足しているのは、フィジカル・コンタクトの技術力であり、ボールの奪い方とボールを奪った後のファースト・プレイの技術力であり、全体(組織)ではなく個としてのプレスのかけ方であり、それから、GKの個の力、という事もそうだと言える。

決定力不足、という事はあるにせよ、1999年のワールドユース選手権で準優勝したメンバーがフル代表の主力となってから以降は、主力が本田や香川や岡崎に入れ替わりながらも、攻撃力は、相手が欧州や南米の強豪国でも1点ぐらいは取れる、というレベルにまでは至っていると言える。少なくとも、彼らのような選手たちに、あまり多くの守備タスクを負わせなければ、つまり、ほぼ攻撃に専念させれば、そうであると言える。

しかし、それでも、攻撃力という力技で勝てる確率が60%以上になるのはBクラスのアジアまでだと言える。攻撃力という力技で勝てる確率は、アジアのAクラスから世界の中堅国以上、となるにつれて下がり、個人的な感覚で言うならば最終的には10%以下まで下がり、その10回に1回以下の確率がベルギー戦に出た、というだけだったと思う。やはり、その証明が、ブラジルW杯の0勝1分2敗、という結果だったと言える。

攻撃の選手に、あまり多くの守備タスクを負わせないようにする、つまり、ほぼ攻撃に専念させる、という事を実現させるためには、守備の選手に、それを可能にさせるぐらいの守備力が必要になる。また、いくらハイプレスという理想を掲げても、前線や中盤のプレスが弱ければ、または、単純なロングボールにDFが弱ければ、セットプレイの守備が弱ければ、ハイプレスの守備は効果的ではないどころか、むしろマイナスになる。

結局、ハリルジャパンの戦い、というのは、個の守備力を上げたい、という戦いだったのであり、またそれは、ずっとそうではあるのだが、間違い無く、ザックジャパンの反省に立ったものであり、それを、もっと組織的にやればとか、もっとポゼッション率を上げればとか、もっと日本らしさを出せばとか、そうやって選手たちが逃げてしまった事が、ハリルホジッチ解任の一因であると個人的には思っていて、とても残念なところ。

それから、速攻の形だとミスが増える、ボールの奪い方とボールを奪った後のファースト・プレイの技術力が低くて速攻の形だとミスが増える、長いパスや強いパスだと出し手も受け手もミスが増える、しかし、遅攻の形だとそういうミスは減らせる、ショートパス主体ならば出し手も受け手もミスが減らせる、下手に見えない、だからそういうサッカーがしたい、という事もそうで、そういう消極的な思考も、とても残念だと感じる。

残念ながら、選手たちがやりたいサッカー、それが常にベストまたはベターであるとは限らない。また、日本らしいサッカー、それを追求する事が、世界の舞台での日本のサッカーの競争力を上げるとは限らない。大概の場合の答えは、ハイブリッドやマイナーチェンジであり、偏重は博打であると同時に、それで勝てるようになる確率は負ける確率よりも低い。内向きの思考はサイレント・キラー。身内の理論もサイレント・キラー。





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