ドーハの悲劇と今回の事は全く違う。ドーハの時は、「2-1」でリードしていて、そのままならばアメリカW杯に出場できたのに、終盤、同点に追いつかれてしまった、という事であり、つまり、そのまま勝てば100%予選を突破できた。しかし、今回の場合は、日本が「0-1」で負けている状態を維持したとしても、コロンビア対セネガルの試合でセネガルが同点に追い付いていたら日本はグループステージ敗退となっていたわけで、つまり、状況は全く違う。もしあれでセネガルが同点に追い付いていたら、それこそ悲劇だったわけで、そういう意味では、むしろ、また同じ事を繰り返しかけたと言える。
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そして、ドーハの悲劇は、日本のサッカーの負の遺産にはなっていない。あそこで日本がアメリカW杯に出場できなかったからと言って、その後、日本のサッカーの人気は下がっていない。そしてまた、その後は、日本は6大会連続でW杯には出場しているわけで、あそこでアメリカW杯に出場できなかったからと言って、日本のサッカーレベルは下がっていないし、それどころか、順調に上がり続けてきた。おそらくだが、あそこで日本がアメリカW杯に出場できていたとしても、その後に大差は無かったと思う。むしろ、もしかしたら、あの悲劇があったからこそ、日本のサッカーは成長できたのかもしれない。
もちろん、だからと言って、あそこで日本はアメリカW杯に出場できなくて良かった、今回の場合であれば、グループステージを突破できない方が良かった、と言っているわけではない。そんな事は1%も思っていない。そんな事は思うはずがない。しかしながら、今回の場合でも、もしグループステージを突破できなかったとしても、それは、日本のサッカーの負の遺産にはならないし、おそらく、それによって日本代表の人気が大きく下がったり、日本のサッカーの成長に大きなマイナスを与える、という事も無かったと思う。結果が全てではない。評価は結果だけで判断されない。物事はそんな単純ではない。 このブログは皆様の応援で継続されています。 記事の内容が「参考になった」と思いましたら、 人気ブログランキング にほんブログ村 サッカーブログ サッカー FC2 Blog Ranking 上記3ヶ所への応援クリックを宜しくお願い致します。
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この件についてもう一度冷静にならなければいけないと思うのは「今回を踏まえて、次回同じシチュエーションになった時、どうすることが適切な判断だと言えるのか?」という点であるかと。
つまり同じような展開になり他力で抜けるか自力で勝ち取るかを選択する場合、今回の事をどう受け止めるているかというのが重要です。 今回の事を『成功例』としてしまうと、再び運に任せた他力を選択する可能性が出てくる。 しかし抜けられたのはあくまで『運が良かった』ただそれだけなのです。 次もまた運が良いとは限らない。失敗したらバクチに負けて酷い醜態を曝し意地もプライドも投げ捨てたのに何も残らなかったというだけになってしまうのです(今回もそうなっていた可能性があったという事でもあります)。 そういう選択を称賛したり名采配と持て囃すのは、やはり私も違和感や危機感を覚えます。 今は、内外から想像以上にパッシングが大きく自分が批判されていると感じて反発をしているファンやサポータが多いと感じますが、冷静になればこれを持て囃してはいけない、戒めとして絶対にやってはいけない行為だと後世に残していくべき事例ではないかと私は思ってます。 承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
攻めてこない相手に対してリスク回避のパス回しを遂行したこと、自力突破の可能性を捨て運任せを前提にそれを行ったこと、この2つの要素が問題とされているのに対して、世間やメディアはこの2点をごちゃまぜにして論じているので、論点がぼやけてしまっているように感じます。
前者はサッカー界では以前からよくある出来事であるのに対し、後者は普通はありえないことでしょう。ブログ主さんもこの後者に対して再三言及されていると思います。 世間一般の評価はともかく、評論家やサッカー関係者まで賞賛する声が多いのはやはり異常だと感じます。おそらく今賞賛している方々は結果が裏目に出ていたら批判する側にまわっていたでしょう。 そしてその結果というのはいくら可能性が高かったとしても、運が良かっただけだと私は思います。 |
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