グアルディオラ時代のバルセロナのサッカーは特殊なサッカー。
グアルディオラ時代のバルセロナのサッカーが与えた影響というのは、とても大きかったのだなと。日本の場合、それが日本らしいサッカーとリンクしたところがあり、そこで答えを得たと時間が止まってしまった人たちも多いのかなと。というよりもむしろ、スペインやメキシコのようなサッカーが、日本が目指すべきサッカーである、と考えてきた人たちにとっては、やはり、それは正しい、と確信が得られた瞬間だったのだと思う。




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ただ、日本のサッカーの確立、という事を提言したのは、日本の代表監督に就任した時のイビチャ・オシムで、そこから本格的に、日本のサッカーの確立、という事がスタートしたわけだが、そのオシムは、いわゆる「ティキ・タカ」と呼ばれるサッカースタイルには否定的であるし、「どこかの真似ではないもの」を探すべきだ、という事を常に言っていて、しかし、そこに関しては、ほぼスルーされてしまっている気がしてならない。

確かに、グアルディオラ時代のバルセロナのサッカー、特にその全盛期というのは、本当に素晴らしかったし、強かった。個人的にも、そのサッカーをかなり分析し考察した。しかし、それでたどり着いた答えは、メッシという超が付く特別な選手が存在しないと成り立たない、尚且、超までは付かなくても、かなり個としてのレベルが高い選手たちが、少なくとも1チームぶんは揃っていないと実現できないサッカーである、という事。

つまり、それはかなり特殊なサッカーであり、実際、バルセロナというチームは、スペインの中でも特殊なチームであると言える。特殊なサッカーに適応でき、尚且、個のレベルも最高レベル、という選手たちが少なくとも1チームぶん、更には、メッシのような超特別な選手も存在しなければならない。そこまで要求されるサッカーを模倣する事は正しい事であるのか。本当にそれは理想的なのか。個人的には、そういう思いのが強い。

更に言えば、グアルディオラ時代のバルセロナのサッカーが圧倒的な強さを誇った全盛期は3年間ぐらいだったし、そのサッカーへの対策となる戦い方も、もはや確立されてきていると言えて、そういう意味でも、グアルディオラ時代のバルセロナのサッカーを理想と掲げるのは危険であるように思える。あくまでも、参考程度であり、イコールである事を求めない事。傾倒しない事。おそらく、それが、正しい道なのではないだろうか。





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【2018/09/18 12:32】 URL | ヤン #-[ 編集] | page top↑
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