個の力(個性)重視と個人(利己)主義は異なる。
育成(教育)というのは、個の力(個性)を育む、という事が、やはり第一であると思う。主体性のある選手(人間)であるためには、大前提として、高い個の力(個性)を持つ選手(人間)である必要があり、例えば、「リードを守るのか、もう1点取りにいくのか」、という判断が求められた場合に、それを正しく判断できる個の力(個性)を持っていない選手たちに、そこは自分たちで判断しなさい、と求めても、やはり、できないものはできない、という事になってしまう。そこが、とても重要な事であると思う。




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そして、育成(教育)というのは、主に未成年者、あるいは、未成年者ではなくても、主に年齢的に若い人たちに対して行われるものであるから、やはり、大人たちが、あるいは、大人たちの集団である組織が、しっかりと責任を持たなければならない。個の力(個性)を育む、という事に関し、その逆の事が行われてしまっていないか。大人の事情を優先し、もしくは、大人の身勝手な理想像を押し付け、個の力(個性)を育む、という事を、妨害してしまっていないか。常に、そういう自問自答や自浄作用が必要だと。

ドリブルで仕掛ける、シュートを打つ、何事に関しても、やらなければできるようにはならない。やはり、ミスや失敗に対して寛容ではない、という事が、やらないにつながり、できないにつながってしまう。過剰な自己責任論も同じ。過剰な自己責任論は、ミスや失敗に対して寛容ではない、という事の温床になってしまう。もちろん、繰り返される重大な過失、ミスや失敗に関しては、時に強い態度で修正を求める事も必要であるが、その目的が正しかったり、意義のある事である限りは、封じ込めをしてはならない。

それから、「メンタリティというものは、勝った負けたで、上がったり落ちたりするようではいけない。自分がずっと暮らしていく、毎日戦っていくなかで、常に持ち続けていなければならない。」、とはイビチャ・オシムの言葉だが、そういうメンタリティを持つ選手(人間)である事が、主体性のある選手(人間)でもあり、但し、そのためには、個の力(個性)を育む、という事が必要になってくる。なぜならば、やはり、高い個の力(個性)を持っていなければ、メンタリティをコントロールするのは難しいから。

更には、これも重要な事であるが、個の力(個性)重視と個人(利己)主義は異なる。個人と全体というのは、個と組織の関係と同じように、相互補完関係にあり、ある大きな目標の達成において、個人(利己)主義はマイナス要素であるが、個の力(個性)重視はプラス要素であり、その二つの要素を同一視してはならない。育成(教育)においては、協調や調和を落とし込む事も重要な部分であるが、それは、個人(利己)主義を否定するものであり、それは、個の力(個性)重視を否定するものであってはならない。





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