制約主導型のアプローチとは、簡単に言えば、特定の事だけをやらせて、それについての能力を伸ばす、という事だと思うのだが、トレーニングというのは、それが当たり前のように思える。速い(手数の少ない)攻めや判断、連携、そうするために必要な技術力、などの能力を高めたい場合には、当然、タッチ数に制限をかけたトレーニングをしたりとか、認知→判断の能力を高めたい場合に、色分けしない、または、多くの色のビブスを使ったりとか、狭いスペースで活きるような技術力を高めたい場合に、コートを狭くする、例えば、フットサル的なトレーニングをする、という事もやはりそうだと思う。
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仕事でも勉強でも何でもそうだと思うが、あれもこれもといきなり要求してもできるわけはないし、当然、やる機会が少ないものは上達が遅れるわけで、あるいは、まずトレーニングしなければやれない事もあるわけで、それを多種多様な能力が求められる実践(試合)だけ、もしくは、その形式だけのトレーニングで身に付けさせようと思ったら、相当な時間が必要になる。ビルドアップとか、丁寧にGKから繋ぐとか、あるいは、プレスで嵌め込むとか、そういう事も、まずはそれに対する難易度を下げたところからスタートして、それから難易度を上げるようなアプローチである方が、当然、効果的だと思う。
ただ、選手が「どのようなスキルを向上させなければならないか」を理解するためには、その選手本人であろうと指導者であろうと、練習だけではわからない、実際に試合を重ねてみて、その中でわかってくるものだと思うし、試合そのものが環境であると考えれば、それに適応するためには、試合形式のトレーニングを重ねる事も必要だと思う。空間把握だったり、11人対11人という状況において生まれるスペースや距離感、エリアの大きさなど、それを最大限に利用して攻める守る、プレーする、という事も必要なわけで、そういう意味では、どちらが良いのか、ではなく、どちらも必要であると思う。 つまりは、試合形式のトレーニングも、制約主導型のアプローチによるトレーニングも、どの能力を高める必要があるのか、という事による使い分けであるだけで、もしくは、その選手にとってはどちらの方がより能力を高められるのか、という個人差が存在するだけなのではないだろうか。更に言えば、当然、どのようなスタイルを志向しているのか、という部分にも左右されてくるものであると思う。もちろんとして、能力を伸ばす、という事においては、制約や制限をかけ、その条件の中で目的を達成させる、というアプローチが有効であるのは間違い無いと思うが、ただそれは、当たり前なのかなと。 このブログは皆様の応援で継続されています。 記事の内容が「参考になった」と思いましたら、 人気ブログランキング にほんブログ村 サッカーブログ サッカー FC2 Blog Ranking 上記3ヶ所への応援クリックを宜しくお願い致します。
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