クロップのサッカーもグアルディオラのサッカーも、強さ、結果、という事を最終到達点とするならば、最終到達点の形は同質になる。
守備というのは、人とスペースに対応する、という事がコツであり、ボールに対応しようとすると上手く守れない。例えば、コースの読みが良い、というのは、人とスペースの位置を把握し、更には、ボールホルダーの動作や視線や傾向や相手チームの狙いなどから、どこの人もしくはスペースへパスを出そうとするのかを予想する能力が高い、という事であり、つまり、まずは人とスペースの位置を把握する、という事が大前提となる。ただ、それが受動的な守備方法であるならば、常にボールを奪おうとする、つまり、常にボールに対してアプローチする、という能動的な守備方法も確実に守備には存在している。




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しかし、常にボールに対してアプローチする、という事を実現させるためには、個々の選手たちに運動量も含めた肉体的な強さが必要で、尚且つ、ピッチに立っている全員の選手たちがそうでなければならない。ところが、それだけを追い求めると、大概にして3つの大きな問題が表層する。1つには、敵陣の深過ぎる位置にあるボールにまでは、全体としてはアプローチできない、という事。2つには、技術的な部分への追及が後回しにされてしまう事。それから、3つには、そういうサッカーは消耗が激しい、という事。従って、そういうサッカーというのは、結局は、方法論のセオリーへと落とし込まれていく。

常にどこの位置でもボールを追う、常にどこの位置でもボールを奪おうとするのを止め、ボールを奪う位置、つまり、守備の設定位置を定め、アタック&カバーでボールを奪う事を原則とする。それから、肉体的な強さと技術的な巧さを、個の能力としてもチーム全体としても、バランスのとれたところへと落とし込む。つまりは、肉体的な強さ先行、技術的な巧さ先行、受動的な守備先行、能動的な守備先行、どれであっても、それはアプローチやプライオリティの差、違いなだけであり、強さや結果を最終到達点にしないならば違うが、強さ、結果、という事を追及した時には、最終到達点にある形は同質である。

呼び名(名称)を変えても本質は変わらない。言葉を新しくしても本質が変わるわけではない。アプローチの方法、最終到達点までの途中の在り方は違くても、強さ、結果、という事を最終到達点とするならば、最終到達点にある形は同質になる。但し、最終到達点の形は1つではないので、強さや結果を最終到達点にせず、スタイルを最終到達点にするのであれば、違いは生まれてくる、というだけ。ロングボールからセカンドボールに群がり、こぼれ球を回収し、ショートカウンターと同じ状況を作り出す、という事と、キック&ラッシュに違いがあるだろうか? 本質は変わらない。本質が変わらないなら同質。





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