戦術的ピリオダイゼーションはプライオリティの問題に過ぎない。
練習は実戦を想定して行われなければならない、というのは当たり前の事で、なぜならば、カオス理論という当然の法則が存在している実戦において、そこで適切にプレーできるようになるためには、経験則とイマジネーションの能力が必要であり、その能力は単純なトレーニングでは培われないから。そして、経験則とイマジネーションの能力の欠如を補うのが戦術、つまり、約束事であり、規律性であり、経験則とイマジネーションの能力の向上を促すためのトレーニングと、その能力の欠如を補うための戦術的なトレーニング、それがトレーニングの3つの柱の内の2本である。そこには疑いの余地が無い。




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但し、経験則とイマジネーションの能力が高くても、あるいは、その能力の欠如を補う戦術的な能力が高くても、やはり、知っていたとしてもできないのであれば知らないのと同じであり、知っているものをできるようにするためには、単純なトレーニングで基礎的な能力を向上させる必要があり、それがトレーニングの3つの柱の内の1本である。従って、トレーニングというのは、まずは実戦もしくは実戦を想定した練習からスタートさせ、次に戦術的な練習を行い、そして、そこからできていない要素を抽出し、そこを単純なトレーニングで向上させてから、再び実戦もしくは実戦を想定した練習へと戻す、という作業の繰り返しである。

時にトレーニングが失敗したり効果的ではなくなるのは、まずは単純なトレーニングからスタートさせてしまうからであり、単純なトレーニングというのは、なぜそれをする必要があるのか、という理解を伴わないと継続できないし、場合によっては不必要だったり害になるような間違ったトレーニングをやってしまう事にもなりかねない。しかし、実戦もしくは実戦を想定した練習からスタートさせれば、そういう事になってしまう可能性を減らす事ができるので、単純なトレーニングも効果的になり効率的になる。つまり、どちらかは必要が無い、という事ではなく、プライオリティの問題である、という事。

また当然、前述したきた事は逆から考える事もでき、基礎的な能力が高くても、経験則とイマジネーションの能力が低ければ、あるいは、その能力の欠如を補う戦術的な能力が低ければ、カオス理論という当然の法則が存在している実戦において、そこで適切にプレーできるようには当然ならないので、まず優先すべきは、経験則とイマジネーションの能力の向上を促すためのトレーニングと、その能力の欠如を補うための戦術的なトレーニングである、という事になる。従って、戦術的ピリオダイゼーション、という考え方が出現するのだが、それを単純なトレーニングの否定だと考えると、間違いの元になる。





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