決定力(不足)からサッカーを評する事を語る。即興性の否定は本質を見失う。
まず、決定力不足とは、どのような場合に使うのか。
それは、得点する大きなチャンスはあったが、それを決められなかった場合。
とりわけ、それで試合に勝てなかった場合には、
その試合の勝てなかった理由は決定力不足だったから、という事になる。

そしてそれは、間違い無く本質。

つまり、その試合がどのような試合だったのか、
あるいは、特定のチームにおいて、その大会がどのような大会だったのか、
という事を評するにつき、得点する大きなチャンスはあったが、
それを決められなかったので、という事が、
結果に与えた影響が大きかった、という事であり、
得点を取り合うスポーツの場合には、それは間違い無く本質。


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但し、おそらく誤用する人はいないと思うが、当然、
得点する大きなチャンスは無かったのに、決定力不足だった、
と評してしまう場合には、それは的外れであると言える。

例えば、いくらシュートの数が多かったとしても、
それらが大きなチャンスだったとは言えないものであった場合には、
決定力不足だった、という事にならないし、
あるいは、大きなチャンスの数は少なかったとしても、
それで得点が生まれていれば、それで流れが変わった可能性がある、
という事も含め、結果が変わっていた可能性がある、と推測できれば、
決定力不足だった、という事になる。

従って、そういう誤用をしていないのであれば、
その試合がどのような試合だったのか、
あるいは、特定のチームにおいて、その大会がどのような大会だったのか、
という事を評するにつき、得点する大きなチャンスはあったが、
それを決められなかったので、という事が、
結果に与えた影響が大きかった、という事であり、
得点を取り合うスポーツの場合には、それは間違い無く本質だと言える。

ではなぜ、決定力不足でかたずけると本質を見失う、
と考える人が出てくるのだろうか。

それはおそらく、その試合がどのような試合だったのか、
あるいは、特定のチームにおいて、その大会がどのような大会だったのか、
という事を評する事と、
システムや戦術であるとか、コンセプトであるとか、采配であるとか、
そういう事について、そのチームの恒常性を問う、
という事を評する事とを、
ごっちゃにしてしまう、同じ土俵の上で考えてしまうからだと思う。

つまり、そのチームの恒常性を論じたい人にとっては、
その試合がどのような試合だったのか、
あるいは、特定のチームにおいて、その大会がどのような大会だったのか、
という事において、決定力不足だった、という事はさて置き、
別の問題点を論じたいので、
決定力不足でかたずけると本質を見失う、と、つい書いてしまう。

しかし、決定力不足が本質だったのは間違い無いが、
他の問題点について、とりわけ、そのチームの恒常性について論じたい、
と書くのが、正しい言葉の使い方、あるいは、正しい考え方だと思う。

どうしても人というのは、二元論だったり、
別の要素である事を、同質あるいは同レベルとして扱いがちになる。

不毛な論争に陥ったり、噛み合わない議論に陥ったりするのは、
大概の場合は、そこに原因があると言える。

個なのか組織なのか、監督なのか選手なのか、というのは、
まさしくそれで、そこは間違い無く二元論で語れる要素ではないし、
その試合がどのような試合だったのか、
あるいは、特定のチームにおいて、その大会がどのような大会だったのか、
という事と、
そのチームや個の恒常性はどうであるのか、
という事とは、
同質あるいは同レベルとしては扱えないものである。

もちろん、そのチームや個の恒常性から考えて、
その試合がどのような試合だったのか、
あるいは、特定のチームにおいて、その大会がどのような大会だったのか、
という事を論じる事はできるし、それは的外れにはならない。

但し、試合というのは常にカオス理論に満ちていて、
更には、個々の選手たちのパフォーマンスというのも常に一定ではないから、
恒常性よりも即興性が結果に大きな影響を与える場合も多く、
その良い即興性を良い恒常性に変えるためにはどうすれば良いのか、
という事は最重要な要素であるが、
即興性を否定する事は、それこそ本質を見失う事になってしまう。




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