本当は「らしさ」の呪縛から解き放たれた時に「強さ」というのは発揮されるのではないだろうか。
「ゲームモデル」という言葉を見聞すると、個人的には、
「らしさ」の呪縛、という言葉が、間髪入れずに思い浮かんでしまう。
更にはそこに、「伝統や文化も含まれる」、となってくると、
より、「らしさ」の呪縛、という言葉が、脳裏に反復されてしまう。

近年のドイツは、ドイツらしさから脱却する事で、強さを復活させた。
肉体的な強さ、そして、ゲルマン魂と呼ばれる、精神的な強さ、
そこに囚われる事から脱し、テクニカルな部分をもっと重視、
テクニカルな選手たちを増やす事で、強さを復活させた。


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イタリアは、守備的から攻撃的へ、その切り替えにトライしている。
しかし、テクニカルな選手が増えた、という印象は無く、
そこに目指している戦い方と選手たちとの間にミスマッチが生まれ、
守備的から攻撃的へ、その切り替えが成功できずいるように思う。

フランスは、人種間のゴタゴタが大きなマイナス要素であるが、
多国籍のチームである事がフランスの強さを生む、
人種的多様性がフランスの強さを生む、
という事を受け入れた時に、最も強さを発揮するように思う。

スペインは、ポゼッションサッカーをする国の代名詞のように言われるが、
そのサッカーの源流はオランダ発のトータルフットボールにあり、
つまり、そもそもとして、そういうサッカーをゲームモデルとしてきた、
そういうサッカーを伝統や文化としてきた、というわけではない。

そのオランダも、美しい、または、究極的であるトータルフットボール、
というものを理想に掲げるサッカーを追い求め続けるにおいて、
それが強さを生むと同時に、脆さ、儚さ、という事も生んでしまう事について、
すっと、そのジレンマに悩まされ続けているように思う。

ブラジルは、ブラジルが強い時は、守備が強い時である。
攻撃的に戦って勝つ、尚且つ、美しく勝たなければならない、
という、ブラジル国民の回顧主義が、ブラジルを強く苦しめている時、
ブラジルは自滅的に強さを失ってしまうように思う。

アルゼンチンは、マラドーナの呪縛から逃れる事ができないでいると思う。
他の選手たちはマラドーナのために存在する、というゲームモデル。
そして今は、他の選手たちはメッシのために存在する、というゲームモデル。
まさしくそれは、「らしさ」の呪縛であるように感じる。

では、日本はどうだろうか? 日本のサッカーを押し上げてきたのは、
日本人らしくないメンタリティを持った選手たちなのではないだろうか?
近年も日本のサッカーに強い可能性を感じさせてくれる選手たちは、
日本人らしくないプレーをする、日本人らしくない能力を備えた選手たちなのでは?




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