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1979年7月9日誕生。滋賀県出身。182センチ74キロ。主なポジションはボランチ、センターバック、左サイドバック。利き足は左。バーゼルでの活躍が認められ、オシムに07’キリン杯で初招集され代表復帰。しかし、鹿島への復帰も示唆? というようなニュースも伝わっており、来季からの去就にも注目が集まっている(2007年6月4日現在)。
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○ 略歴・データ
98〜04 鹿島アントラーズ 144試合27得点 05〜06 マルセイユ 9試合 0得点 06〜 バーゼル 44試合 2得点 フル代表 56試合2得点 ○ 略歴 高校選手権で帝京高校のキャプテンとして出場(ボランチ)し、準優勝に輝いた。大雪の中での決勝戦は見た人の印象に深く残っていると思う。その後、鹿島アントラーズに入団。初出場では中田浩二の存在が混乱を招く原因となってしまい、すぐにレギュラーポジションを確保することはできなかったが、ワールドユースで準優勝という栄誉を勝ち取ると、鹿島でもボランチとして主力を確保するようになり、数々のタイトルを手中にした。代表でも、トルシエの提唱するフラット3に欠かせない選手として重用され、ワールドユースに引続き、シドニー五輪や日韓W杯でもフラット3の左翼センターバックとしてレギュラーポジションを担い続けた。日韓W杯後も鹿島で活躍していたが、トルシエがマルセイユの監督に就任したことで、中田浩二の海外移籍願望が強くなり、鹿島との間に移籍による問題が生じたものの、最後は中田浩二の強い意志によってトルシエが指揮するマルセイユへ移籍した。しかし、初出場でオウンゴールを決めてしまい、さらに、トルシエが解任されたことで、マルセイユでの活躍の場は中田浩二から遠ざかってしまう。鹿島への復帰話もあったが「移籍金0なら」と鹿島側に言われたり、マルセイユは多額の移籍金を提示したイスラエルクラブへ中田浩二を移籍させようとしたが、これは中田浩二自身が嫌がり、どちらも実現しなかった。そしてバーゼルへ移籍。バーゼルではやっと本来の実力が発揮できるようになり、センターバックや左サイドバックを中心に44試合出場して、リーグ優勝は逃したが、カップ戦に優勝した。ちなみにジーコジャパンメンバーでもありましたが、そこでの活躍はほとんど無かったと言えます。 ○ 分析 私が初めて中田浩二を見たのは高校選手権でしたが、とてもテクニシャンなボランチという感じでした。柔らかなボールタッチとドリブルで得点を決めたシーンが強く印象に残っています。しかし、プロになってからは、それとは正反対の選手になったという感じがあります。ボランチとして、どちらかと言えば守備的な役割を担うことが多く、活躍はセットプレーからヘッドで決めるなどパワフルさを感じるシーンが多いように思います。ワールドユース、シドニー五輪、日韓W杯と、トルシエによって3バック左翼のセンターバックに起用されるようになり、それが長くなると、もはや完全に守備の人になっていきましたね。私の周りでも「中田浩二は高校の時の印象とは変わったな・・・」という人が少なからず存在しました。ジーコジャパンでは、クラブで活躍できてなかったこともあり、ドイツW杯メンバーではありましたが(ジーコの鹿島枠?)、活躍はありませんでした。しかし、バーゼルに移籍したことは思わぬ幸運だったと思います。最初は「スイスリーグ?」と首を捻った私でしたが、いかにスイスリーグと言えども44試合2得点は素晴らしい結果を残したと言えると思います。日本において左足のセンターバック及び左サイドバック、もしくはボランチの存在は貴重であり、また、オシムにとってもポリバレントな選手として期待される選手だと思います。まだ07’キリン杯でオシムジャパンに初招集されたばかりで、出場もまだですが、日本代表に欠けているポジションを埋める存在として活躍しそうな気配があります。 少しでも面白いと感じましたら、 ◎ サッカー人気blogランキング ◎ ○ サッカー FC2 Blog Ranking ○ への応援クリック投票をポチッと宜しくお願い致します。 |
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