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10年前の試合など参考にならないと思って、このような内容の記事は書かないでいたのですが、どうもそうでもなさそうなので、フランスW杯を目指した岡田ジャパンの軌跡を掲載してみたいと思います。当時の試合内容を追いながら、現在2008年の岡田ジャパンにも言及した内容になっています。
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○ ウズベキスタン戦 フランスW杯最終予選5試合目
FW:カズ 城 MF:森島 MF:相馬 名波 山口 名良橋 DF:斉藤 井原 秋田 GK:川口 フランスW杯アジア最終予選に入り、加茂ジャパンが、第1戦ウズベキスタン「6−3」勝利、第2戦UAE「0−0」引分、第3戦韓国「1−2」敗、第4戦カズフスタン「1−1」引分、という流れできて、ここで加茂監督が更迭、当時ヘッドコーチだった岡田武史が昇格して監督となりました。そして、第5戦ウズベキスタン戦。これが岡田監督の日本代表初戦となります。 まず急遽監督に就任した岡田監督が建て直しのコンセプトに挙げたことが「守備に自信を取り戻す」「最後まで徹底的に戦うことができる選手を起用する」ということでした。なぜこのようなコンセプトを掲げたのかと言いますと、それは、加茂ジャパンで戦ってきた予選4試合では、第1戦のウズベキスタン戦では6得点するも3失点して、大量リードに気持が緩んで3失点し、第2戦のUAE戦では絶対勝つという気持が感じられない試合内容での引き分け、第3戦の韓国戦では1点リードのまま終盤を迎えながら、最後の最後に連続して2失点を許し逆転負け、第4戦のカズフスタン戦では、またもや最後の最後に同点ゴールを決められ引き分ける、というように、「戦う強い気持、絶対勝つという強い気持、それが感じられない」「最後にやられてしまうのではないかとマイナス思考を全ての選手が持っているように感じられる」ということがあったからです。 そこでこの試合では、ロペスに代へ城、ヒデに代へ森島、という選択を岡田監督はしました。この意図は、まず、前線から献身的に守備ができる選手を起用したいということ、そして、ヒデに関しては、ここまでの戦いで、かなり精神的にナイーブになっており、少し気持が腐っていたというのか、上手くいかない状態にイライラしていたので、一度ベンチから試合を見させて冷静さを取り戻させる、そのような意図があったと思います。 さて、試合の方ですが、ハッキリ言って内容はかなり寒い内容。日本もウズベキスタンも縦ポンサッカーで、中盤では組み立ても無いし厳しい守備もない状態。日本代表の方では、名波&山口のダブルボランチが、守備に意欲的ではないので、相手の司令塔選手を完全にフリーにしていました。従って、どんどんウズベキスタンに、FWにボールを放り込まれ、その形から先制点を許す展開でした。もちろん日本も名波や山口がボールを持った時に厳しいプレスが無いので、そこから前の3枚へスムーズにボールを出してしましたが、城やカズがバイタルエリアで効果的なプレーができず、なかなかゴールは遠い状態でした。そこで後半からは、得点を奪うべく、森島に代へヒデ、斉藤に代へロペスを投入、 FW:城 ロペス カズ MF:ヒデ MF:名波 山口 DF:相馬 井原 秋田 名良橋 GK:川口 という「4−3−3」に変更しました。但しこの3トップは、いわゆる城やカズがウイング的に動く3トップではなく、言ってみれば3人のセンターフォワード的な3トップですね。つまり、FWの枚数を増やしただけの3トップということです。しかし、ロペスとヒデが入ったことによるプラスはありました。ヒデとロペスが高い位置でボールを受けてキープできるので、それによって前半よりは日本の攻撃が威力を持つようになりました。4バックに変えながらも、前半の3バックの時より、相馬や名良橋の攻撃参加が増えたことがそれを象徴していました。シュート本数も増えていました。しかし、それでもなかなか得点が奪えず、残り10分ぐらいからは、秋田がFWの位置まで上がって戻らないなど、日本はかなりリスクを背負った捨て身の攻撃を見せ、そして、後半44分、井原からの縦パスロングフィード一本、ロペスがそれをヘディングで後ろに擦らし、それをウズベキスタンのGKが予測ミスでキャッチできず、ボールはそのままゴールへ。辛くも岡田ジャパンの初戦はラッキーゴールで引き分けるという形になりました。 これが岡田監督の代表初試合でしたが、かなり負けが80%ぐらいの試合を、なんとか幸運で引き分けられたという試合でした。これで、この時点で、1勝1敗3分ということで、かなり苦しい状況ではありました。 ○ UAE戦 フランスW杯最終予選6試合目 「とにかく僕らは勝つしかないから、勝つ為には点を取るしかない(岡田監督)」ということで、無敗の韓国が圧倒的な勝点16で1位であり、実質的には、勝点7のUAEと勝点6の日本が、2位を争う展開となっていました。スタメンは、 FW:カズ ロペス MF:北沢 MF:名波 ヒデ MF:本田 DF:相馬 斉藤 秋田 名良橋 GK:川口 ということで「4−4−2 ダイヤモンド型」でした。これが2試合目ですが、既に2008年現在の布陣と同じですね。ちなみのこの試合は1998年の試合です。但し、試合が始まってみると、ヒデは右サイドから動かず、いちおうポジショニング的に下がることはありますが、守備に頑張ろうという気はゼロで(笑)、その分、北沢が守備に頑張って戻るという変則的な形になっていました。おそらく、ヒデは守備負担の多いSHよりもトップ下がやりたかったのだと思いますね。まあ、北沢が右SHで、ヒデがトップ下でも良かったと思いますが、岡田監督としては、サイドバックを活かす為にヒデを右SHに置いたのだと思います。それから北沢の献身的な守備、運動量と得点力に期待して、北沢の方をトップ下に起用したのだと思います。それにしても、確かこの時、ヒデはまだ20歳前後ぐらいですよね? やっぱり大物だ(苦笑) しかし、名波が左サイド下がり気味で、ヒデが右サイド上がり気味という変則的な形が、結果オーライ的に良かったですね。その変則性によってUAEは守り辛くなっていたように思います。 さて、この布陣ですが、2008年の今と1つだけ違うところがあります。それは、遠藤と憲剛がやっているような、数的優位を作る為に「ため」側に人数をかけて、そこからサイドチェンジをSBへ展開する、というようなSBの活かし方をしていないところです。左は名波と相馬で、右はヒデと名良橋で、単純にSBを活かすという方法を採っていました。しかし、どちらにしても、SBの有効性は薄いですが・・・。その理由は、2008年現在と同じで、コンビネーションで最後のところを崩してないからですね。1998年のこの試合では、名波やヒデがパスを出したら出しっぱなしでサポートに行かないなので、結局SBが孤立していましたし、2008年現在では、SBがサイドで1人になってしまうので、結局孤立してしまう、ということですね。そこはオシムジャパンでやってきたように、サイドでも2人3人のサポートと連携で崩すという形をやって欲しいのですが・・・。 最後に、試合展開ですが、前半早々にDFからのロングフィードを受けたカズが、反転してUAEのDFラインの裏にボールを蹴ると、そのボールにロペスが反応して、PAの外からミドルシュート。これがスーパーシュートで、日本が先制点を挙げる展開でした。しかし、前半の内にセットプレーから同点にされてしまいます。後半30分まで同点は続き、そこで岡田監督は相馬に代へ城を投入、 FW:城 ロペス カズ MF:北沢 ヒデ MF:山口 DF:名波 斉藤 秋田 名良橋 GK:川口 という「4−3−3」にして、名波を左SBに使うという、超攻撃的布陣にしました。しかし、引き分けでもOKなUAEは攻撃に出て来なくなっていたので、結局最後まで追加点は奪えず、「1−1」の引き分けという結果で終わりました。 ○ 韓国戦 フランスW杯最終予選7試合目 日本が快勝して、ジョホールバルで戦う権利に大きく近づいた試合でしたが、この勝利には少し疑惑有りなのです(笑) 韓国は既にぶっちぎりの1位で予選突破を決めており、さらに、2002年のW杯日韓共催も決まっており、韓国のスタジアムには「一緒にフランスへ行こう!」と書かれた垂れ幕があったりして、チェ・ヨンスなんかPA内で倒されても文句一つ言わず、みたいな状態だったので、まあ、そういうことなのかなと思いますね(笑) FW:カズ ロペス MF:北沢 MF:名波 ヒデ MF:山口 DF:相馬 井原 秋田 名良橋 GK:川口 スタメンとしては、システムはUAE戦と同じで、警告による出場停止から戻ってきた井原が入り、1ボランチに本田ではなく山口が入る布陣となりました。しかし、どう見ても、名波、北沢、ヒデが、遠藤、大久保(山瀬)、憲剛に見えますね。 試合展開としては、前半に日本が名波とロペスのゴールで2点リードし、そのまま後半は守り切って日本が勝利しました。それにしても、この当時のロペスの存在は大きいですね。ポストプレーが抜群に上手いし、高さもあって、3試合連続得点、もしロペスが帰化してくれなかったら、城とカズで戦っていたら、日本代表がフランスW杯に出場することは無かったかもしれませんね。 ○ カザフスタン戦 フランスW杯最終予選8試合目 FW:城 中山 MF:北沢 MF:名波 ヒデ MF:山口 DF:相馬 井原 秋田 名良橋 GK:川口 カズとロペスが累積警告で出場停止ということで、ゴン中山と高木が代わりに召集され、中山はスタメン、高木は途中出場した試合でした。特に中山は、予選が始まった当初は、特別ゲストでピッチ解説などをやっていたのですが、この試合で2年5ヶ月ぶりに代表に呼ばれ、活躍したことで、ジョホールバルでもスタメン出場でゴールを決め、ついにはフランスW杯でもスタメン出場し、最後にはW杯日本人初ゴールを決めるまでに至ったわけですね。人生とは分からないものです・・・(笑) そして、もうお馴染みとなった、2008年現在も使用している「4−4−2 ダイヤモンド型」ですが、この試合辺りから、ヒデがだいぶ守備でも頑張るようになっていましたね。もちろん、最初の頃と比べて、という意味ですが・・・(苦笑) そういう意味では、更に、より2008年のかたちに近くなったように思います。 試合展開としては、前半に、セットプレーから秋田と中山が得点を取り、ヒデも得点を決めて、スコア「3−0」とリード。後半にも井原と高木がゴールを決めて、1失点はしましたが、結果「5−1」で日本の快勝となりました。これで、日本がアジア第3代表決定戦に進む権利を得たことになります。 ○ フランスW杯アジア第3代表決定戦 この試合に勝った方がW杯へ出場できるのですが、その相手はイランでした。後に「ジョホールバルの歓喜」として語り継がれる歴史的な試合ですね。この試合を岡野のVゴールで、延長戦を制した日本が、初めてW杯へのキップを手に入れた忘れられない試合です。 FW:カズ 中山 MF:北沢 MF:名波 ヒデ MF:山口 DF:相馬 井原 秋田 名良橋 GK:川口 スタメンはこの配置でしたが、前半途中から、ヒデと北沢のポジションが入れ替わって、完全に、 FW:カズ 中山 MF:ヒデ MF:名波 北沢 MF:山口 DF:相馬 井原 秋田 名良橋 GK:川口 このような配置になっていました。これは岡田監督の指示ではなく、ヒデが勝手にトップ下のようなポジショニングをとるので、仕方なく北沢が右を埋めるべく右SHのポジションに回らざるを得なくなった、という感じでした。その証拠に、後半からはまた、右SHヒデ、トップ下北沢、という形に修正してきました。しかし、それでもやっぱりヒデはポジションを無視(笑) かなり自由に動いて、右サイドへ出るよりも中央や左へ行くことの方が多い感じでした。カズと中山に代えてロペスと城を入れた時にも、岡田監督は、ヒデがきちんと、名波、山口、ヒデ、というポジションを取るように、再度修正指示を出していたように見えましたが、まあ、それでもヒデは自由に動くんですけどね・・・(苦笑) 実際、結果として、この試合でヒデは3アシストするわけですから、指揮官の命令を無視しても結果を出せばOKということですね。しかし、イランがその手薄となった右サイドをあまり突いてこなかったので良かったですが、もし右サイドを意識して突かれていたら危なかったかなと思います。まあ、でも、左サイドを崩されて2失点しているので、人がいてもやられていたわけですが・・・。 試合展開としては、前半、ヒデからのスルーパスを受けた中山がゴールを決めるのですが、後半開始早々にアジジのゴールで同点に追い付かれ、更に、ダエイのヘディングゴールで逆転されるという展開でした。しかし、途中投入された城がヒデからのセンタリングをヘディングで決めると、そのまま「2−2」で延長戦へ。延長戦から北沢に代へ岡野を投入。そして、延長後半、ヒデのシュートのこぼれ球を、その岡野が決めて、日本が歴史的な勝利を収めました。 ○ どのような「4−4−2」だったのか? 10年前の岡田ジャパンのフランスW杯最終予選での「4−4−2」は、正確に記すと、 FW:カズ ロペス MF:北沢 MF: ヒデ MF:名波 MF: 山口 DF:相馬 井原 秋田 名良橋 GK:川口 という、中盤がジグザグになった変則的な形で、ダイヤモンド型とボックス型の中間を採ったような「4−4−2」でした。サイドバックを最初から高い位置に上げる、岡田監督の理想とするシステムは、まだこの後に試されるのですが、この時点でも2008年現在の「4−4−2」と多くの共通点があります。それは中盤の選手構成ですね。1人のアンカーに、2人の司令塔、そして、森島、北沢、というタイプの選手をトップ下に起用していることです。これは、遠藤、鈴木、憲剛、そして、トップ下に大久保や山瀬を起用している2008年現在と全く同じだと言えると思います。 このブログは皆様の応援で継続されています。 「面白い、賛同できる」と思いましたら、 ◎ サッカー人気ブログランキング ◎ ○ サッカー FC2 Blog Ranking ○ への応援クリック投票をポチッと宜しくお願い致します。 |
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